「国譲り神話」と出雲大社


国譲りのおはなしと出雲大社


(前号の続き)

稲佐の浜で天神である建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)と、大国主命の息子である建御名方神(タケミナノカタノカミ)が葦原中国をかけて勝負していた。

闘神タケミカヅチは、タケミナノカタに掴まれた左腕は氷となって相手の腕を滑らし、右腕は刀となり、怪力によってタケミナノカタを遠くまで投げ飛ばした。

タケミナノカタ:「まるで力が及ばない・・・逃げるが勝ちさ~!」
タケミカヅチ:「まてー!」

諏訪湖
タケミナノカタは山里を飛ぶように逃げ去り、科野(しなの)国、洲羽の海(すわのうみ=諏訪湖)まで逃亡して身を潜めていたが、遂にタケミカヅチに捕らえられた。
(上の写真は長野県のどこかです・・・)

タケミカヅチ:「天神(あまつかみ)にそむくとどうなるか思い知るがよい」
タケミナノカタ:「ヒエエ~!恐れ入りました。命だけは御助けをー!!その代り、この地(諏訪)に留まりどこにも行かぬことを約束します。」

と、降伏し、父である大国主神の判断に委ねることにした。

諏訪大社
尚、タケミナノカタノカミは(日本の奇祭)御柱祭で有名な、諏訪大社の祭神となった。

稲佐の浜

タケミカヅチ:「おい、大国主。二人の子は天神に従うと申したぞ!」

大国主命:「ならば葦原中国を天神の御子に差し上げます。但し条件があります。
まず立派な宮殿を築いて私を祀って頂きたい。そして、 私の子供である180の国津神の神々は、私の息子ヤエコトシロヌシノ神(八重言代主神)を中心に御従いいたします。」


タケミカヅチ:「承知した。その旨を天神に伝えておく」


そして、大国主命の願い通り、地の底にまで柱が届き、屋根は高天原に届くほどの高い神殿が、出雲に築かれた。その高さは中古には16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられる。
これが、出雲大社の由来である。

葦原中国はこうして平定され、その後、天照大神の孫、ニニギノミコト御一行が、九州高千穂の霊峰へ天降(あまくだり)をして、日向の宮という大きな宮殿を築いた。

その後、神武東征などを経て、ヤマトの国は現人神である天皇のもとに統一されたとさ。

<おしまい>


上の3つの円の写真は、出雲大社の改修工事中に直径1.4メートルの巨大な3本の御柱が発見された場所。
こういったものが発見されたり、過去に本殿が何度も倒壊したという史実を知ると、(出雲大社について)上の想像図の姿や伝承もあながち偽りではないのかな?と思ってしまう。

最後にこの社は、稲佐の浜で催される神在祭の期間中に、八百万神が宿泊する十九社。

とても神聖で、太古の歴史のロマンを感じさせる出雲大社。
本殿が完成したら、絶対にもう一度参拝したいと思った。


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