出雲路を歩く 加茂岩倉遺跡の銅鐸と大岩


加茂岩倉遺跡、そして銅鐸の謎


清涼感溢れる(?)北海道写真集は如何でしたか?
ではでは、話を今までの続き、出雲地方に戻します。

須佐神社をあとにして、場所的に一番近い(と思っていた)加茂岩倉遺跡に行ってみる事にした。

・・・が、えらく遠くて、カーナビに表示されていない道を方向感覚だけを頼りに走ってた。
くねくねとした山道を1時間程走らせた後、ようやく加茂岩倉遺跡に到着。
途中寄ってみたかった「卑弥呼の鏡」が発掘されたと言われている神原遺跡などは、すっかり通りすぎてしまった(ToT)

駐車場で休憩したあと、遺跡(整備された坂道を徒歩約15分)に行ってみると・・・

「おおっ!銅鐸☆」

「こっちにも銅たく~★」

・・・と、一瞬思いましたが、残念ながら、これらは出土した当時の状況を再現した偽物です^^
当然青銅製なく、プラスティック製です。

加茂岩倉遺跡は、1996年に39個もの銅鐸が発見された(日本一の量)、古代の出雲が繁栄していた証しともいえる一大遺跡である。

そもそも発見されたキッカケは、農道工事中に作業者がシャベルで掘削していたところ、バケツのようなものが地下に埋まっているのを偶然にも発見。

「なんだべさぁ~?」


と、よく見たところ、バケツなんかではなく大量の銅鐸だった・・・。

というのが真相らしい。

そして、このような立派な標識が立てられて・・・

このように立派な遺跡公園として整備されたのであった・・・。
めでたしめでたし^^

・・・なんて、うわべだけの話はどうでも良い!

遺跡周辺には西谷墳丘墓群や荒神谷遺跡(数多くの銅剣が出土)がある。

地元の住民曰く・・・

「西谷や荒神谷とかには行くな、と昔から言われているんだぁ」

と、代々にわたり伝承されていたらしい。

*ちなみに荒神谷は倭建命(ヤマトタケル・・・書紀だと日本武尊)が、九州の熊曾(くまそ・・・九州南部といわれている)征伐したのち、出雲の出雲建(イズモタケル)を騙し討ちで殺害した地とされている。

そして遺跡の駐車場の向かいに「大岩」なる岩がある。


そして、(最近整備された)案内板を見ると、「矢橿神社跡」なるものが近くにあるらしい。

次回は、神社跡のある大山なる山を登ってみたー。

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