秩父三社巡り 秩父神社


7 - 秩父神社(知知夫神社)


長瀞から再び秩父鉄道に乗って、秩父駅で下車。
歩いて数分のところに、秩父神社がある。


到着したのが、午後5時前後だったので、
慌てて社務所に向かい、御朱印を頂いた。

神社前は国道のため、交通の往来が激しい交差点なのに、
写真を撮ろうとしたら、車が停まってくれた。
感謝!・・・だけど、ピンボケなのでした(涙)

神門と呼ばれる門をくぐる。
夕方という時間のせいか中心の扉は閉じられてた。

社殿は、とても由緒ありそうな趣きで、秩父三社の中で一番お気に入り。

ご由緒は、崇神天皇10年(紀元前87年)、知知夫国の国造に任命された八意思兼命(オモイノカネ)の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神である八意思兼命を祀ったことが始まりとされる。

オモイノカネは知恵の神様とされていて、「古事記」にて天照大御神が天の岩戸に御隠れになった際に、岩戸の外に出すための知恵を八百万の神に授けたり、国譲りの話では、葦原中国に遣わす神の選定をおこなっていた。

そして、他の御祭神は知知夫彦命(ちちぶひこのみこと・・・知知夫国の初代国造・秩父開拓の祖神)、天之御中主神(古事記では天地開闢の際に高天原に最初に出現した神だが、鎌倉時代に神仏習合して北辰妙見菩薩として長らく祀られてきた)の三神に、秩父宮雍仁親王が昭和28年に合祀されている。

社殿自体は、戦国時代の末期に焼失したものの、天正20年(1592年)に、徳川家康の命で再建された。
建築様式は本殿・幣殿・拝殿の三棟からなる権現造りとなっている。

この彫刻は、「子宝・子育ての虎」といわれる彫刻。
他にも「お元気三猿」なる日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」の反対で、「良く見て・よく聞いて・よく話す」という意の彫刻などが飾られている。

・・・しかし、ここにも巨大な樽が置かれている。

社殿裏側(北側)には、数多くの絵馬が掛けられている。

その中に「北辰の梟(ふくろう)」の彫刻があり、体は南側、そして顔は北極星の方向を向いていて、北辰北斗の信仰に基づいて、妙見様(天之御中主神・・・アメノミナカヌシノカミ~天地創造された『三柱の神』の中の神であり、『宇宙(根源)の神』とされている説がある)をお守りしている。

この神の「天の中心の至高神」という性格は、中国の道教の影響による天一星信仰、北斗信仰、北極星信仰などがベースになって成立したものと考えられている。
そこから、室町時代以降、日蓮宗において盛んに信仰されるようになった妙見信仰と習合したのである。

妙見信仰は北斗妙見信仰ともいい、北極星や北斗七星を崇めるもので、俗に「妙見さん」と呼ばれる妙見菩薩は北極星の神格化されたものである。 天のはるか高みに隠れていた天之御中主神は、妙見菩薩と同一視されるようになったことによって、庶民の信仰レベルに降りてきたわけである。

・・・何か神秘的な神社なのですね☆

また、学問に御利益があるとされていて、学業の絵馬が数多く結ばれていた。

社殿裏側の長屋の殿は、天神地祇社と呼ばれている社殿で、全国の一宮やそれに準ずる神社の祭神計75座の神々が祀られている。

そして、境内に鎮座している赤色をした巨石は「神降石」と呼ばれる磐座。

ちなみに本殿と参道の延長上には、秩父神社の神奈備である武甲山があり、聖地とされてきた。
しかし良質な石灰岩である武甲山は、セメント採掘による乱開発のせいで、山肌は荒れて古代祭祀の遺跡などは、ことごとく破壊されてしまった。

尚、秩父神社の例祭は12月3日の「秩父夜祭」で、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられているとのこと。

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