信濃探訪 : 尖石縄文考古館 (1) 「縄文のビーナス」


尖石縄文考古館 (1)
「縄文のビーナス」



尖石縄文考古館へ。
割引クーポン券を持ってきたはずだったが、どうやらホテルに置き忘れてしまったようだ・・・。

仕方なく通常料金を支払って入場すると・・・


土器~っ!


どき~っ❤

・・・と、土器・土偶のオンパレードだった(笑)

上の土器は、尖石遺跡で発掘された縄文時代中期前半(約5000年前・・・BC3000)の筒形土器。
両脇につけられた取っ手に開けられた2つの小さな穴。
細い紐が括り付けていたのであれば、5000年前の水筒、もしくはマイカップであるのか?
さらに土器に写された文様が、「力強さ=狩猟に対する身の守護」のように感じられる。

ど素人なので妄想の域だが、きっとこの土器は・・・
『成人男性が狩猟時に首にぶら下げていた水筒兼お守り、ただし夜は、お酒を飲むためのマイカップ』
だったと結論!?

これも尖石遺跡から出土された約5000年前の小さな土偶。
4本指の指や頭の形などから、きっと大昔はこんな人がいたのだろう(嘘)
いったい、どのような意図をもって作られたのかな?

ボクの妄想だと・・・
母子ともに安全な出産になったのは、産婦人科が開設されて医学が発達したのは近年の事。
昔、ましてや5000年前の出産なんて、母子ともに生命をかけての一大事だったに違いない。
よって、『出産によって命を絶たれた女性を埋葬する際に、ともに埋葬されたもの、もしくはただの子供の玩具だったろう』と推測。

上の写真は、同じく尖石遺跡で発掘された縄文時代中期後半(BC2500年)の土偶の一部。
女性関連の土偶が多いですね・・・w
やはり上の写真群と比較すると、時代の進行のせいか、少し文様が洗練されはじめているように思える。


そして・・・念願の、

国宝「縄文のビーナス」とご対面!
(感涙)


「縄文のビーナス」は、昭和61年に茅野市米沢工業団地の造成中、棚畑遺跡にてほぼ完全な形で発掘された。今から約4000年から5000年前の縄文時代中期のもの。

縄文時代の集落は、何軒かの家がお祭りなどに使う広場を中心にして環状に形成しているが、この土偶はその広場の中の土坑と呼ばれる小さな穴の中に横たわるように埋められていた。

ハート型の顔(お面)に、切れ長の目つきに、おちょぼ口。耳にはイヤリングを付けていたと思われる小さな穴も開けられている。

お腹の形と胸の形、そしてくびれたシルエットから、妊娠した女性の特徴を忠実に表した土偶である。

そして何よりも可愛らしいのがプリっとしたお尻^^
きっとビーナスさんも恥ずかしがっているに違いない。

あと、頭部には耳あて付のニット帽ようなものを被っているように見えるし、後頭部にはダンゴ状に束ねた後ろ髪を表現したかのようにも見て取れる。

尚、頭頂部には渦巻き状の文様が描かれている。
きっと何らかの意味があるだろうし、縄文式土器や土偶に描かれている文様そのものが「文字・メッセージ」であるという説もある。

さて文様については、縄文時代の日本に限らず、豪州の土着民族であるアボリジニの全身に描かれたボディー・ペインティング、そしてケルト文化等々・・・。

特に古代ケルト(アイルランド)の宗教では、霊魂は不滅で輪廻転生を繰り返し、神々はしばしば動物や植物の姿を借りている。また日本の神道と同様、樹木、森、泉などを神聖視していた。

聖パトリックがキリスト教を布教していき、カトリック教会や修道院を次々に建てていったのが5世紀の事。
ケルト人(ドレイド)はこの宗教を排除することなくケルトの神々と融合させて、聖パトリックもまた排除せずに土着的信仰とカトリックとの融合を容認していた。
(この辺がある意味日本の神仏習合と類似している)

ちなみにこの十字架はアイルランド・デヴェニッシュ島の
「太陽のない十字架」

この十字架の方が珍しいので、こっちを載せました^^

この十字架については⇒こちら(Britain Calling)を参照☆


そして、ケルト十字架の円環は『古代ケルト宗教』の名残で、渦巻文・組紐文の根底は輪廻思想を意味するが、輪廻思想とは生命の循環であり、それは回転する円へと連なっていく。ケルト人が持っていた霊魂観をあらわす究極のシンボルが、回転する円すなわち霊魂の輪廻を象った円環という説や古代ケルト人が信仰していた太陽崇拝とも言われている。

(ケルト/装飾的思考 鶴岡真弓著 愛蘭土紀行 司馬遼太郎著等から要約)

いずもにせよ、文様全てに意匠性ではない何らかの意味を成し、自然に対する畏敬や感謝の念、そして何らかのメッセージを文様という形で表現していると、素人ながら思う。

そして『自然、そして「自然が創りしもの」に支配されているヒト』から『ヒト、そして「ヒトが造りしモノ」が自然を支配(=破壊)する』ように錯覚し、さらに崇拝・支配対象も自然から人へと変化していき、

『農耕による定住化⇒クニ(権力者)の出現⇒争い⇒大きな国の形成』

を繰り返すようになっていった。

良いことなんだか、悪いことなんだかボクには判断できないが、洋の東西でも人間が考える根源は、きっと一緒なのだろうね。。。

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