信濃探訪 : 守矢史料館周辺を歩いてみた

守矢史料館周辺を散策


守矢史料館は館内だけでなく、周辺地も古代諏訪信仰の面影を残す建物や遺跡など数多く残されている。それにしても、本当に良い天気です。


まずは史料館の屋根部分に2本の木があり、そこに『鳥』のような鉄の鎌が打ちつけてある。
これは「薙鎌(なぎかま)」というもので、諏訪神事の御神体といわれている。

現在、諏訪神社の分社の場合、この薙鎌を御神体としてお分けしている。

さらに、今でも御柱祭のとき、上社の本見立をした御柱(この木だ!と、決定した御柱)に薙鎌を打って、御神木になった証しとしている。

薙鎌は風害を除く呪物と考えられ、実りの秋の大敵である大風を、鎌で切って弱めようとする考え方。また陰陽五行の原理で、風は「木気」であり、風を制するには「金気」がよく、木に鎌を打ちこむという考え方がある。

薙鎌の形の原型は、平安時代の鉈鎌(かっぱらい鎌)とみられ、蛇体信仰からしだいに背にウロコをつけたり、クチバシ状にしたりと、変形してきた。

(神長官 守矢史料館のしおりより)

史料館から高台を登っていくと、御左口司の社叢がある。
この社叢内に御左口神社、そして摂末社が鎮座されている。

神社への入り口横にコロンと転がっていた栗。
収穫の秋(今は冬だけど・・・)を感じさせますね。

さて、ここが御左口(みしゃくじ)神社である。
祭神は御左口神であると考えられているが、建御名方命の御子神が合祀されているという。
また、御左口神社の総社であるとも言われている。


なお、神社周辺には、江戸後期に神長官守矢実延が勧請した神社がある。
御左口神社の四隅にも御柱が立てられております。

こちらは右から天神社、そして稲荷社。
天神社の祭神は菅原道真で、弘化3年(1846)勧請。
対する稲荷社の祭神は保食神(うけもちのかみ)で、文化8年(1811)に勧請。

社叢の上を登っていくと、「神長官裏古墳」がある。
古墳の時期は7世紀中期のものとされている円墳。

現在は墳丘が残り、石室武の後方が開口されている。
大正3年(1924)の石室内調査では、木棺破片や小刀子があったという。

墳墓の上から眺める諏訪地方。
屋根の赤い屋敷は神長官屋敷で、発掘調査をしたところ、ざくざくと13世紀~16世紀頃の遺物が掘り出されたらしいです。


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