信濃探訪 : 信濃國一之宮 諏訪信仰発祥の地 諏訪大社上社前宮

真の諏訪大社~上社前宮へ
(長野県茅野市宮川2030御鎮座)


「神長官 守矢史料館」を訪ねた後、諏訪大社上社前宮へご参拝。

上社本宮の賑やかさとは対照的に非常にひっそりとしているが、ここが諏訪大社4社ある中で、始まりの地とされており、過去には数多くの古代神事が執り行われた神社である。

前宮は、途中の登り道を挟んで、拝殿エリアと他の『神原』と呼ばれている社殿・社務所エリアが離れている。

まずは、ここ「神原」にある社殿について。

上の社殿は、内御玉殿。
諏訪明神の祖霊が宿るといわれている御神宝(八坂の鈴・真澄の鏡・御鞍・轡など)が安置されていた御殿で、祭神は不明だが、一説には御子神とも諏訪大明神の幸魂・奇魂を祀っているとも言われている。
現在の社殿は昭和7年に改築されたものだが、以前の社殿は天正13年に造営された上社関係では最古の建造物だったらしい。

「神原」には諏訪大社の神紋にもなっている梶の木が祀られている。

そして、守矢史料館の項でも紹介した『十間廊』がここ。
かつては『神原廊』ともいわれていた。
特に3月酉の日の大御立座神事(「御頭祭」「三月頭」「酉の祭」ともいう)では、鹿の首75頭を、この十間廊に供えたという。

『諏訪大明神画詞』(1356年に編纂)より。

前宮下の神殿(ごうどの)と神原廊(十間廊)で重大儀式が催される。

ー、 饗膳儀式。「禽獣の高盛、魚類の調味美を尽す」とあるように、山海の珍味と酒で神と人が共食をおこなう。
二、 大祝の神格を授与。神使は大祝の前にひざまづき玉かづらをかけてもらい、御杖柱を受けると神がかりする。
三、 御杖柱を立て申立を行い、大祝は「のりと」を読むと、神使達はこれを口まねする。
四、 神宝の授受。神長は神宝の鉄鐸(サナギ鈴)を神使の首にかけるか、御杖柱に吊るす。
五、 出門と神殿めぐり。

そして、諏訪七石と言われる巨石や巨木、ミシャグジ社などに寄って、村人を集めて、御杖柱と鉄鐸で、農耕に先だってミシャグジ神を降ろして豊作祈願を請け負う祈禱をする。

そして11月28日御立座神事では、春の廻神と同じ道順を廻り、豊作の御礼のための湛(ミシャグジの祀られる場所)めぐりで、そこで諏訪神に対するお礼の貢租の取り立てと、ミシャグジ神の神上げを行るものとみられる。

そして登り坂へ。
途中の風景をパシャリ☆
長閑~な、どこにでも見られる風景。

登り道を数百メートル登った先に、前宮拝殿が鎮座されていた。
古くは神殿に付属していた社で、高台で豊富な水や日照が得られる良い地で、御祭神が最初に居を構えられて、『諏訪信仰発祥の地』と伝えられている。

しかし、室町時代の半ばに神殿が移転されて、多くの建物が消滅し、現在では祭典に必要な建物のみ残されてしまった。
どことなく、遺構的佇まいを感じるのは、そのせいなのか?

ちなみに現在の本殿は昭和7年、伊勢神宮の御用材を使用して建てられたもの。

前宮の脇を流れる水眼(すいか)の清流の源泉。
諏訪大明神の神格をもった生き神・大祝がここに神殿を建てたのは、この源泉が理由のひとつらしい。
(坂本龍一・中沢新一共著『縄文聖地巡礼』より)

縄文時代(守矢氏も、もしかしたら征服者だったのかもしれないが・・・)から続く諏訪地方の伝統神事が今だに根強く残り、さらに出雲族との争いを経てクニとなり、やがて大和の中央集権に取り込まれていく過程と、本当の日本の歴史の一部が感じられる希有な地。


まだまだ、古代ロマンへの探求は続きます。

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