信濃探訪 : 御坐石神社と上川


御坐石神社と上川

(茅野市ちの字御座石5307御鎮座)

感動の御射鹿池、そして奥蓼科の大自然と太古のロマン、何よりスワの古代信仰を知って興奮ぎみだったボクがこの日最後に訪ねたのは、上川と隣接している諏訪大社上社摂社である『御坐石神社』

川岸にあった駐車場に車を停めて、神社に向かう。
八ヶ岳方面から流れている上川の景色が心に染み入る。

そして御坐石神社に到着。
当然この日も『小宮御柱祭』で、境内には数多くの氏子さんが集まっていて、入りづらい雰囲気・・・。

尚、看板から「郷社」の文字が削られている。
明治時代に設定された近代社格制度に対するアンチテーゼなのか?
『スワ』地方の中央に対するレジスタンスの姿勢は、ここでも垣間見る事ができた!?

ということで、まずは御由緒を。
御坐石神社(看板には「座」と記されていた)は、諏訪明神建御名方神の御母神、高志沼河姫命(こしぬなかわひめ)を祭神とする諏訪大社上社の摂社である。
はじめ、命の御住居の地というので「御座所宮」「御サイ(广に沓)所宮」等と呼ばれていたが、いつか御座石神社に変わったと伝えられる。

本来ならば境内に黒鳥居と呼ばれる木の鳥居がある筈なのだが・・・ない。
翌日の御柱祭の為に、古い鳥居を取り外したのかもしれない。

おもしろいことに、この神社は女神を祀っているからなのか、四本の御柱の立てる代わりに、7年ごとに新しい鳥居を立てている。
ある意味貴重な日に立ち会えたのかな?と、ポジティブ・シンキング^^;

御由緒に戻ると・・・
むかし、諏訪明神は高志(こし)の国(越後)から母神をこの地に迎えられた。母神は鹿に乗り大門峠を越えて来られ、社前の石に降り立ち、旅の履(くつ)を履き替えられたと伝えられ、今に拝殿前の石に足跡と、神殿入口に御履石という石が残っている。

諏訪明神と由緒深い宮というので、古くから重要な祭事が行われ、今日まで古式の姿を残している。

この石が御座石なのかな?と思ったが・・・

「この石には、御座石神社の御祭神である高志沼河姫命が、高志の国から鹿に乗って息子のところへやってきた。『この石に腰を掛け休息した』と伝えられている。」のみの記載で、具体的な石の名前を挙げていない。

この辺がいかにも歴史を重んじる茅野市教育委員会らしい。

ちなみに奥にある巨石は「穂掛石」という名前がついている。

この神社の祭事は、4月27日で、どぶろく祭と言われている。祭事に使われる火は、出雲大社と同じ形の火切臼(檜の板)と火切杵(卵木)で発火し、柴と河原石で釜を築いて鹿とうどの煮物を神前に供え、参拝者にもふるまう。
(以上、神社前案内看板より)

「出雲」文化と土着文化(ミシャグチ神)の融合した姿。
そこには『ヤマト的』発想はないのかな?
古の日本文化の形骸を留めている神社だと感じた。

ちなみに上の写真は狛犬ならぬ、狛石(笑)

数多くの石仏が置かれており、中には道祖神像などもあった。
恐らく道路拡張などといった区画整理の際に、勧請されてきたのかな?

小さな石祠、そして石碑と道祖神像。
味わい深い雰囲気が漂っている。

道祖神(1)

道祖神(2)


そして再び上川へ。
清流のせせらぎを聞きながら、一休み。

水の流れる音が心地よく感じるのは、人間の体内の60%強が水分で出来ているから、本能的に体内で何らかの化学反応が起きているに違いない、と大胆な推論を立ててみた(笑)

そんな妄想が出来る位に長閑な風景。

そして、ハチさんも秋桜(コスモス)の花びらの上で、御休息。

数時間前まで、雲ひとつない快晴だったのが、宿に到着する頃には雨が降り出していた。
まっ、地球そのものが、ひとつの生き物ですから^^


次回は・・・
また信濃から離れますww

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