調神社 ウサギの宮、そして浦和レッズとの奇妙な関係


調神社 そして浦和レッズとの奇妙な関係

(埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目17-25)




折角の兎年なので、何とか1月中にUPしたかった。
よって、強引に長野から強制移動します(笑)
ここは、浦和の民に愛されている、Pride of Urawa の総鎮守『調の宮』こと、調(つき)神社です。

年に数回、初詣やお参りに行っているので、『写真を撮る』ということはなかなかしていなかった、というか思い付かなかった^^ 日常のなかの神社というイメージですかね。

なので、初撮影。何故か緊張しました☆

社頭には調神社のマスコット(!?)である狛犬ならぬ狛ウサギがお出迎え☆
尚、この神社には鳥居がありません。
そして何故兎なのかは、略史にて・・・。
手水舎もウサギさん仕様。
正に12年に一度の『調宮祭り』ですな(笑)

調神社の御祭神は、天照皇大神、豊宇気姫命、素戔嗚尊の三柱を祀る。
社名は調神社。地元では「つきのみやさま」と愛称されている。

『調宮縁起』によれば、第九代開化天皇の代(紀元前158年~紀元前98年)、所祭奉幣の社として創建され、第十代崇神天皇(BC97年~BC29年)の勅命により神宮斎主大和姫命が参向、此の清らかな地を選び、伊勢神宮に献る調物を納める御倉を建てられ、武総野の初穂米調収納蒼運搬所と定めらる。

倭姫命の御伝により御冥より調物斉清の為、当社に搬入する妨げとなる為、鳥居、門を取拂はれたる事が起因となり現今に到る。
(神社由緒看板より)
倭姫命とは、第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代(神を祀り、神の言葉を取り次ぐ巫女、のちの斎宮)となって、大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされている。
またヤマトタケルの東征の際、草薙剣を授けたとされている。

・・・ちょいと、神社の看板は信憑性に欠ける(汗)

要は伊勢神宮へ納める貢物の初穂を納めた倉庫群の中に鎮座していたのが始まりで、鳥居がないのは、運搬の邪魔にならないよう配慮されたと言われています。

また住所も「岸町」なので、昔の見沼(もしくは見沼から流れていた河川)が近くに流れていたのであろう。

さてさて中世、調が月と同じ読みから、月待信仰に結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれ、月神の使いとされる兎の石像が境内入口側にある。

尚、平安時代『延喜式』に記載される武蔵國四十四座のうちの一社である。

現在の社殿は、安政6年(1859)竣工で、総欅の権現造り。
こじんまりとしているが、とても趣き深い・・・と言いたいところだが、撮影日は正月明けの平日にも関わらず、投げ銭防止ネットが張ってあった。

これは『百度盤』といわれるもので、お百度参りする時に使用されていたもの。


そして、朱色の鳥居の先には、旧本殿が鎮座されている。
(現在は稲荷社とされている)

この社殿は享保十八年(1733年)に建立されたもので、一間社流造り。
各所にはめこまれたうさぎの彫刻は調神社と月待信仰の関係を知るうえでとても貴重。
現社殿が建立された安政年間までこの社殿が本殿として使用されていた。
(市指定有形文化財)


さてさて、冒頭のタイトル
「・・・そして浦和レッズとの奇妙な関係」についてを。

浦和レッズの「たま~に」登場してくるマスコット『レディア』くん。

架空上の生き物とされているが、耳はうさぎの形をしている事から、調の宮のウサギにあやかっていると言われている。

さらに隠れコードとして、ウサギの耳の外郭を書いてみると・・・

大文字の『M』

つまり、(創設当時の)親会社
三菱自動車の頭文字となる・・・。


ダビンチ・コードもびっくりの衝撃的事実!
(オールド・サポの都市伝説として語られているだけです^^)

い、以上でした。。。

話を調神社に戻して・・・(汗)

摂末社の天神社など。
季節柄なのか、学業成就の絵馬が多く飾られていた。

がんばれ~、受験生^^


次回はウサギにまつわるエトセトラですww
(今回の投稿でウサギの画像が少ないのはそのせいです^^;)

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