武蔵‐氷川Ley Line(レイライン)を進め -3 中山神社


武蔵~氷川神社ラインを訪ねてみた


3. 中山神社(中氷川神社)

(埼玉県さいたま市見沼区中川145-65鎮座)

氷川神社を抜けて第2産業道路を自転車で漕いでいると、道路脇に『中山神社入口』の看板を発見。
細長い並木道が参道チック。
そんな細い道路を数百メートル走ったところに、中山神社が鎮座されている。

・・・丁度この時期は七五三詣の時期。
季節感がなくて申し訳ありません^^

社頭前。
なかなか趣きある佇まい。

御祭神は大己貴命で、父(六代前の父)であるスサノオを祀っている氷川神社と、この後紹介するスサノオの妻であるクダナダヒメを祀っている氷川女体神社の丁度中間点に鎮座されている。

こちらが社殿。
鎮守の森に囲まれて、とても気分が落ち着く。

この辺で御由緒を・・・

中山神社は、かつて中氷川神社と呼ばれた中川の鎮守である。創建を人皇十代崇神天皇の御代二年と伝えられる古社である。
明治四十年七月、神社合祀の際に社名を現在の中山神社に改められたが、今でも通称は「中氷川神社」で通っている。

「中氷川」の由来は一説には、見沼に面した高鼻・三室(浦和)・中川の地に 氷川神社があり、各々、男体宮、女体宮、簸王子宮を祀り、当社が高鼻(男体)、三室(女体)の中間に位置したところから付けられたという。


天正十九年(1591)十一月、徳川家康から社領十五石の御朱印を賜った格式のある神社である。
当社の祭礼の中でも、毎年十二月八日に行われた鎮火祭は特に有名で、焚き終わった炭火の上を素足で渡り、無病息災及び火難がないよう祈願するものである。(御火塚という神事跡)ただし、近年は事情によりこの行事は中断している。

現社殿の裏側に旧社殿が保存されているが、これは桃山様式をもつ市内最古の建造物として大宮市指定文化財となっている。
(中山神社の掲示板から)

覆殿の中には旧社殿が保存されている。
案内板に下記のように記されていた。

-大宮市(現さいたま市大宮区)指定文化財建造物「中山神社旧社殿」-

中山神社は、古くは氷川社と称し大己貴命を祀る旧中川村の鎮守で、大宮市高鼻町の氷川神社と浦和市三室の氷川神社の中間に位置するため、中氷川神社とも呼び慣わされてきました。明治の終わりに山の山村神社などを合祀して現在の社名に改めました。

境内では十二月八日に神事の「鎮火祭」が執り行われていましたが、現在は社殿前に建立された「御火塚」と記された小さな石碑がその名残を留めているにすぎません。この鎮火祭の火によって「中氷川」の氷が溶けてしまい、この地を中川と呼ぶようになったともいわれています。


旧社殿は、板張り床の外陣に至る階段を設け、祭神を安置する母屋前方の屋根を、角度を変えて軒先よりさらに長くして、反りを付した板葺の二間社。

また、社殿側面の床板には脇障子や端の反り返った欄干がついていた痕跡が見受けられます。このような造りを「流造り」といい、一間社で社殿正面の階段や脇障子のないものを「見世棚造り」といい社殿のもとになる型です。

この旧社殿は簡素な板葺きの「見世棚造り」が二間社となり、階段などを装飾して「流造り」に発展していく過渡期の建造物といえます。

桃山期のものと考えられ、県内に現存する社殿でも古い型式に入り、市内では最古のものであり、建築学上大変貴重な資料です。


境内に砂利で敷き詰められた一角が「御火塚」。
鎮火祭という神事後に、焚き終わった炭火の上を素足で渡っていた神聖な場所。(現在は行われていない)

そして、鳥居の右にひっそりと建っている門客人社は荒脛神社。

この神社から少し先(南)には険しい坂があり、見沼へと続く。
周りは住宅街となっているものの、中山神社には『神域』的な何かを感じる事が出来る古社のように思えました。

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