武蔵‐氷川Ley Line(レイライン)を進め -4 見沼田んぼの歴史


武蔵~氷川神社ラインを訪ねてみた


4. 見沼田んぼを散策してみた



中山神社へ参拝のあと、いよいよ最終目的地である氷川女体神社へ向かう。
そこで必ず通らなくてはならない『見沼』について少々・・・。

・・・のぺーっとした景色。
遠くに新都心が望めるだけで、天気のせいか味気ない風景。

しかし、天気と時間帯を選べば、
このような広い空を拝むことができます^^

おっ、道端に柿がなっている!

・・・よく見ると、大きなスパイダーがぁ(涙)

「こ・怖い・・・」

因みにこの辺りは、小生がJoggerだった頃
よく走った場所。
土地勘はさすがにある^^

・・・と思ったら、コスモス畑を発見^^
お花畑を見ると、ほっこりと心が和みます。

コスモスの原産は、メキシコの高原地帯に・・・


なーんて、長閑な話をするために
書いているのではなーい><


何故『氷川レイライン』と騒いでいるのか?
理由は上の図を見てほしい。(Wikiのフリー画像を加工)

見沼が干拓される前(17世紀頃)までは、いわゆる見沼田んぼ自体が大きな湖であった。
(さらにいえば、古墳時代の頃は鴻巣あたりまでが海岸線だったらしい)

そこに引いてみた緑色のラインと赤い点。
氷川神社(スサノオ・・・父)-中山神社(オオナムジ・・・子孫)-氷川女体神社(クシナダヒメ・・・母)が湖畔に一直線に並んでいる。

そして中山神社は、ほぼ中央にあり、冬至の日には太陽は氷川女体神社の真上から昇り、夏至の日、太陽は氷川神社の真上に沈むらしい。

これは偶然ではない、必然である!
(なんちって^^)

尚、現在は整備されて「見沼田んぼ」と「見沼代用水」となっており、元アジアチャンピオン~浦和レッズの練習場もあり、さいたま市民の憩いの場となっております。

見沼について学びたい方々の為に、見沼の歴史を添付します。

縄文時代


弥生時代~江戸時代初期


八丁堤によるせき止め


現在


・・・乱暴すぎてすまぬ^^;

(これ以上の説明はないだろうと思いましたので^^)


いにしえのミステリーに包まれた氷川三社レイラインの最終回は・・・
宮本町にある『氷川女體神社』についてです。

Comments

Popular posts from this blog

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社