武蔵‐氷川Ley Line(レイライン)を進め -5 武蔵國一宮 氷川女體神社


武蔵~氷川神社ラインを訪ねてみた

5. 氷川女體神社

見沼田んぼを走り抜け、最後の目的地、氷川女體神社へ。
この辺は埼玉スタジアムへの近道で、浦和のサポートをする為に自転車で近くを走ったものだ。


社頭。
武蔵野台地の上に、見沼を見下ろすかのように神社が鎮座されている。


階段を一歩づつ登っていくと、朱色の鳥居、そして鬱蒼とした鎮守の森が姿を現す。

氷川女體神社の御祭神は、奇稲田姫尊(くしなだひめのみこと~大宮氷川神社の御祭神スサノオの妻)で、三穂津姫尊(みほつめのみこと)、大己貴尊(おほなむちのみこと)が配祀されている。

御由緒としては、今から2000年前の昔。
第10代崇神天皇の時代に勧請をしたと「武州一ノ宮女体宮由緒書き」にて伝えられている。

氷川女體神社の 「女體」は、御祭神である稲田姫命(いなだひめのみこと)に由来する。
記紀のなかでは、稲田姫命は須佐之男命(すさのおのみこと)がヤマタノオロチ退治の際に助けて妃にした姫とされている。


一説には、当社(女體社)と、大宮区高鼻町にある大宮氷川神社(御祭神:須佐之男命・男体社)、見沼区中川にある中山神社(御祭神:大己貴命・王子社)の三社を合わせて、武蔵国一宮と称されていたとも伝えられている。

中世以来、武門の崇敬を集めており、鎌倉北条氏、岩槻太田氏、小田原北条氏などにゆかりある書物や宝物が多く所蔵され、徳川将軍家からも社領50石を寄進されている。

御社殿は、三間社流作り。
現在の御社殿は、四代将軍徳川家綱の命により寛文七年に竣工されたもの。

氷川女體神社にとって、最も重要な祭祀は『祇園磐船龍神祭』と呼ばれるもので、神社から出て見沼田んぼ(当時は湖)にある祭祀場跡でおこなわれていた。

『氷川女体神社のかつての最も重要な祭祀は御船祭でした。
しかし、享保十二年(一七二七)の見沼干拓によりそれが不可能となり、代わりに社頭の旧見沼内に 柄鏡形の土壇場を設け、周囲に池をめぐらし、ここに その祭祀を移して行うことになりました。それが磐船 祭です。

実際にここで祭祀が行われたのは江戸時代中期から幕末ないしは明治時代初期までの短い期間ですが、その祭祀は見沼とは切り離せない古来からのきわ めて重要なものです。
この遺跡は保存状態も良く、これを証すべき文書や記録も残されており、史跡としての価値が高いといえます。

なお、昭和五十七年度に、復原整備事業を実施しました。』
(案内板より要約)

そして社叢の中へ。
埼玉県指定「ふるさとの森」とされていて、大切に保存されている。

鬱蒼とした森の中にひっそりと祀られている境内社。
町から発する眩いほどの光を遮るかのように、森の中は薄暗く静寂としている。


そして、整備された見沼用水。
江戸時代におこなわれた灌漑事業の恩恵があって今がある。
しかし、その頃の再開発事業は、伝統行事等(磐船祭)に対する配慮も成されていた。

現在の利己的すぎる再開発事業も、こういった人として、そして文化的な配慮をもって行われるべきだと感じた。


~おしまい~


次回からは・・・信濃安曇野へ☆

Comments

Popular posts from this blog

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社