信濃探訪 : 穂高神社 -1 海神を祀る安曇野の社


「日本アルプスの総鎮守」

・・・だけど海神族を祀る穂高神社

(長野県安曇野市穂高6079御鎮座)



最終日の朝は、どんよりと曇っていた。
そんな中、安曇野へ移動してみることにした。
お目当ては、またまた偶然にも穂高神社にて『御船神事』が開催されるから・・・。

東京⇔諏訪間の往復チケットはディスカウントチケットだったので、もっと帰りの時間をずらせば・・・というのは「後の祭り」。

この祭りの存在を知る以前にチケットを購入してしまったのだから仕方ない。

上諏訪駅から松本経由で、大糸線で穂高駅に下車。
駅から歩いて10分弱で、信濃國三宮・穂高神社に到着。


さすが年に一度の例大祭が開催されるだけあって、神社内には多くの参拝客で賑わっていた。
早速境内へ入場するために、鳥居をくぐってみた。

拝殿は2009年に127年ぶり(よって、以前の拝殿は1882年建立)に建て直されたばかりなので、若々しさがみなぎっている。
これから年月を重ねて、味わい深い色になるのあろう。

拝殿の奥には、3つの本殿があり、中殿には穂高見命、左殿には綿津見命(わたつみのみこと)、そして右殿には瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が祀られている。

また、若宮には安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)が祀られている。

御由緒によると・・・

穂高神社がいつ創建されたか記録はないが、醍醐天皇の延長五年(927)に選定された延喜式の神名帳には、明神大社に列せられて古くから信濃に於ける大社として、朝廷の尊崇篤く殖産興業の神よ崇められ、信濃の国の開発に大功を樹したと伝えられている。

安曇族は海神(わたつみ)系の宗族として北九州に栄え、大陸とも交渉をもち高い文化を持つ氏族であったようで、しだいに活動範囲を四国、中国、近畿、中部へ広げ、その一部は信濃国安曇野を安住の地えお定め、稲作、農牧文化等を普及し、大きな力を持ち「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)・・・平安時代中期に作られた辞書」にある高家郷・八原郷・前科郷・村上郷の四郷からなる安曇郡を成立させている。

武将仁科氏、松本藩主の加護を受けて、明治5年郷社、同15年県社、昭和十五年国幣小社に昇格し、現在は神社本庁の別表神社として崇敬されている。

そして、奥宮は中部山岳国立公園である明神池畔に鎮座。
明神岳(穂高岳の一峰)の直下で、明神池(神領地)は春夏秋冬おもむきを異にし、天下の自然庭園である。年間訪れる参拝客多く、日本アルプスの総鎮守、海陸交通守護、登山安全の神を祀るにふさわしい浄地である。

(以上、穂高神社略記より)

・・・写真などを見たが、本当に美しい池でいつか参拝したい御宮である。
尚、嶺宮は穂高岳山頂(標高3190メートル)に鎮座されています。

こちらは若宮社。

案内板によると・・・

御祭神である安曇野連比羅夫命が祀られている。
天智天皇の命により水軍を率いて朝鮮に渡り、百済の王 豊璋を助け、六六三年八月二十七日、白村江で戦死。
穂高神社御船祭りの起こりと伝えられている。
白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)とは、663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍(羅唐同盟)との間で繰り広げられた、海と陸の会戦のこと。
この時安曇比羅夫は、豊璋王を護送する先遣隊として661年5月に船舶170隻・約1万人の兵を率いて出発したが、唐・新羅連合軍の前に敗北したとのこと。

こちらが神船。
昭和57年に奉納されたもので、平安時代の資料を基に復元されたもの。

この岩は仁王岩と呼ばれている岩。
とても厳かな雰囲気が漂っている。


次回は、御祭りの参道の雰囲気を♪

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