武蔵國探訪記 -1 さきたま古墳群


武蔵國探訪記
1- さきたま古墳群と「武蔵国造の乱」




さきたま古墳公園には、東西600m、南北900mの狭い範囲に大型古墳が9基(稲荷山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳、将軍山古墳 、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳)が現存している。

日本書紀によると534年、安閑天皇より笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が武蔵国国造を任命され、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原)に拠点を持ったとされる。


古墳時代、このあたりはすぐ東が東京湾につながる埼玉沼という大きな湖に突き出た半島だった。
そして、5世紀の終わりから7世紀の始めにかけて、族長クラスの大型古墳がこの地で次々と築かれた。

また、突如として畿内に匹敵する中型前方後円墳が現れたこと、稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の銘に見えるヲワケの父の名のカサヒヨがカサハラと読めることなどから考えれば、笠原を本拠とした武蔵国国造の墓ではないかという説がもあるが、まだ不明確な点が多い。

二子山古墳
まずは、古墳群についてのご紹介。

二子山古墳は、武蔵国最大の前方後円墳。埋葬施設は発掘調査されておらず詳しいことは不明だが、墳丘周囲の調査で出土した埴輪から、6世紀初頭前後に造られたと推定されている。
稲荷山古墳とは、墳丘の向きが同じ、またともに、中堤の西側に「造出し(つくりだし)」と呼ばれる四角い土壇(どだん)をもつなどの共通点がある。

稲荷山古墳

5世紀後半に造られた国宝~金錯銘鉄剣が出土したことで有名な前方後円墳。115の文字には、ワカタケル大王(雄略天皇)に仕えたヲワケの功績等が記されている。

ここは稲荷山古墳の登り口。
このアングルから見ると、まるでピラミッド風な佇まい。

ちなみに被葬者ヲワケは、豊富な副葬品をもって葬られており、ヤマト王権に関係の深い大首長、またはその一族の有力者であった可能性が高いとみることができるが、未解明な点が多く謎に包まれている。

将軍山古墳

6世紀後半に築かれた全長90mの前方後円墳。
明治時代に後円部にあった横穴式石室が発掘され、馬具や環頭太刀など豊富な副葬品が出土された。
尚、後円部に横穴式石室の内部が見学できる展示館が設置されている。

丸墓山古墳

日本最大の円墳。
埋葬施設は発掘されていないため詳細は不明だが、出土した埴輪から6世紀前半に造られたと推定されている。とすれば、稲荷山古墳の後、二子山古墳と同じ時期に造られたことになる。

丸墓山古墳から見た稲荷山古墳と行田の風景。
とても長閑~な風景である。

鉄砲山古墳

最後に鉄砲山古墳について。
築造時期は6世紀後半。県道を挟んで二子山古墳の南側、さきたま古墳群では南に寄った位置にある。長さ109m、埼玉古墳群の前方後円墳では3番目の大きさである。
名前の由来は、江戸時代に古墳の周辺が忍藩(おしはん)の砲術練習場になっていたことから名付けられた。

次回は、埼玉にもこんな凄いものがあったのか?
と、感嘆してしまうような遺構です☆

「関東の石舞台」八幡山古墳石室
http://travelog-jpn.blogspot.jp/2011/02/2_26.html

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