武蔵國探訪記 -2 「関東の石舞台」 八幡山古墳石室


武蔵國探訪記
2- 『関東の石舞台』 
八幡山古墳石室


八幡山古墳全景

さきたま古墳群を見学後、レンタサイクルを借りて、目的地の八幡山古墳へ。


途中、長閑な田んぼ風景が広がる。
昔はよく田んぼの中で、昆虫を捕まえたりして遊んだものだ。

田んぼの脇に置かれていた「塞神」の石像も、まったりと過ごしている。スローな時間だなぁ・・・と、畔に腰かけてながら一服☆

そして工業団地内に入ってみると・・・
廃墟チックな建物が多くあり、別の意味で興味津々w
町工場の一角に古墳石室あったので、正直迷子になりかけました・・・(汗)


そしてやっとこさ、八幡山古墳石室に到着。
しかし、門には施錠されていた・・・。

周囲を工場と住宅に囲まれて、時代から取り残されたかのような雰囲気。

石室公開は、土・日・祝日のAM10:00~16:00のみで、係のおばちゃんが10分程遅刻してやってきた。
入場簿にサインした後、少し入場簿に目を通してみたら、一日平均2~3組位しか来ていない・・・。

何とも勿体ない・・・。

しかし、裏を返せば独り占め!
早速石室内を占拠させて頂いた!!

前室

あせる気持ちを抑えて、石室内へいざ入場。

『おおおっ!』

何とも異質な世界。
囲まれた石室の中は薄暗いが、石の隙間から零れる光が眩く輝いている。

ここは前室と呼ばれるところ。
八幡神の石祠が鎮座されている。
中室
ここは中室。
写真では高露出のせいか明るくみえるが、実際石室内はとても暗く、空気もヒンヤリとしている。

後室

そして後室へ。
きっと、この大きな石の中に棺や当時の装飾品などが供えられていたのだろう。

八幡山古墳は、7世紀中頃に築造された、直径約80mの円墳と推定されている。さきたま古墳群とは別の若子玉古墳群に属し、その中でもかなり大型の円墳であったそうだ。

昭和9年に約2km東にあった小針沼埋立のための土取り工事で封土を崩した際に石室が現れたため、翌10年に発掘調査が行われた。

その結果、羨道・前・中・後室の3室からなる前兆16.7mの巨大な石室であることが明らかになり、昭和19年には県指定史跡に指定された。

その後、昭和52~54年に発掘調査と復元調査が行われて現在の姿となっている。

発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺の破片や銅鋺など郷かな遺物が発見されており、この古墳に葬られた人物がかなりの権力者であったと考えられる。

此の事から、この古墳を『聖徳太子暦』に登場する武蔵国造物部連兄麿(むさしのくにみやつこもののべのむらじえまろ)の墓と推測する説もある。

なお、この石室の様子が、飛鳥の石舞台古墳に似ていることから、考古学者の大場磐雄が「関東の石舞台」と形容した。

(以上、案内板及び配布資料より)

巨大な天井岩、そして数多くの石に囲まれた石室の中。

こればかりは、実際に入場してみないと感じることは出来ないので、感想・コメントは控えさせて頂きます。(というか、適切な表現が頭に浮かんで来ない)
尚、復元前(土取り工事)をしたあとの石室はこのような状態。
ちなみに名前の由来となっている八幡さまの石祠は、巨石が散乱した状態の中でも無傷だったようでした。(この写真は、事務室内に展示してあります)

「関東の石舞台」という名に相応しい美しい外観を持った石室。
同時に、本家「奈良の石舞台」も見学してみたいと思った。


次回も、武蔵國探訪です☆

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