武州六大明神を巡る 武蔵國六之宮 杉山神社


武州六大明神を巡る 六之宮 杉山神社

(横浜市緑区西八朔町・・・論社)


このシリーズの締めは数多くの論社が存在している「杉山神社」
その中で最も有力視されていて、武蔵国総社「大國魂神社」の御由緒に記載されている緑区の杉山神社へ訪ねてみた。


JR横浜線十日市場駅より徒歩20分程で到着。
違う神社へ参拝していた為、冬至の夕暮れ時にようやく着いた。

早速参道へ向かってみる。
とても古式ゆかしい雰囲気を感じる。

そして、境内へ。
鎮守の森の前に佇む入母屋造の拝殿は、小さいながらもとても神々しく見えてくる。
さらに赤焼けした夕日のスポットライトが神々しさを助長している。

杉山神社の御由緒(石彫刻)をパシャったが、解読不能なのでWikiより転記します。。。

主祭神は五十猛命(イソタケル)で、古事記では大屋毘古神(オオヤビコノカミ)と同一神とされている。

オオヤビコはオオナムヂ(大穴牟遅神・・・出雲大社の祭神大国主神の別名)の兄弟(八十神)による暗殺の謀略から守る為に、彼を匿ったカミとされている。(出雲大社と大国主神の神話へリンク)

また、日本書紀ではスサノオの子とされ、高天原より追放されたときスサノオと共に新羅へ天降ったが・・・

「きにくわん!」

と、スサノオがワガママ(?)を言い、船で出雲へ渡ったとされている。

五十猛神は、『天降り』の際に多くの樹木の種を持っていったが、新羅には植えずに九州からはじめて大八洲国に植えたので、日本は青山に被われる国となったという。

よって、五十猛命は「林業の神」として崇められている。

配祀神は大日霊貴命(アマテラス)素戔嗚尊(スサノオ)太田命

『神道集』によると、当時は椙山大明神(すぎやまだいみょうじん)と称し、本地仏を大聖不動明王としている。『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代は神体が不動明王の立像であったとのこと。

『続日本後紀』に「枌山神社」(すぎやまじんじゃ)とあり、延喜式神名帳には武蔵国都筑郡唯一の官社として杉上神社の記述があり、大國魂神社の六所明神の一所として祀られた。
西八朔杉山神社が続日本後紀のそれであると説いたのは、幕末に大國魂神社の宮司であった猿渡盛章である。

流造の本殿。

さて、杉山神社(あるいは杉山社、椙山神社)という名前の神社は、都筑郡(横浜市北部)と周辺に数十社あり、いずれが正しいかは必ずしも明らかでなく、都筑区中川六丁目、都筑区茅ケ崎中央、港北区新吉田町などの社とする説もある。
『新編武蔵風土記稿』(1810年-1830年)によると、関東地方四郡に七十数社在ったという。それらは、日本武尊か五十猛命のいずれかまたは両方を祭神としている。
尚、ここの杉山神社は、現在の所在地よりも300メートル西北の山麓が鎮座地であったという。
遷座時期は約300年前の延宝年間とされている。

こちらは末社である稲荷社で、社殿右側に鎮座されている。


そして、社殿の左側に鎮座されている覆殿。
その先には、夕日が空を赤く染め始めていた。

そして、夕日を見る為に、境内脇へ足を運んでみたら・・・

富士山が姿を現していた!


うっすらと顔を出している富士山、そしてオレンジ色の夕日と濃紺色の空とのコントラスト。
論社なんて関係ない、己自身の心に残る社が「ホンモノ」だと思えば良いのだ。

美しい夕暮れの景色を、陽が沈むまで眺めていた。


~武州六大明神編おしまい~


次回は、武蔵國探訪記です☆

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