信濃探訪 : 八面大王 vs 坂上田村麻呂の仁義なき戦い


安曇野の原風景
・・・そして、八面大王と坂上田村麻呂の仁義なき戦い


穂高神社参拝後、例大祭が始まるまで時間があったので、暇つぶしにレンタサイクルを借りて、安曇野周辺を散策してみることにした。

ここは、チャリで通りがかった吉祥山東光寺。
門前には『吉祥仁王』様の下駄が・・・。
一礼して願いを込めながら大下駄を履くと、諸願が成就されるそうな・・・。

小川に流れる水も透き通っていて、とても美しい!
そして一番驚いたことは・・・

『空気がうまい!』



諏訪地区は、工業地区の意味合いもあるので、残念ながら空気については何も感じなかったが、ここ安曇野の空気は本当に美味しかった。
「空気」の有難みに感謝しながら、何度も何度も深呼吸した。

さて、この神社。
大王わさび農場内にある神社で『大王神社』と呼ばれている。
この神社には魏石鬼八面大王が祀られている。

魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)は、安曇野に伝わる伝説上の人物であり、同時に他地方(朝廷)からは『鬼』として見られていた。

よって、民話も二通りに分かれている。

<一般的(朝廷側)伝承編>

むかーし、むかーし。桓武天皇(785~805年)の時代。
田村麻呂様が北の蝦夷を成敗しに、北征の旅に出た道中の安曇野にて、暴れては田畑にある作物を食い荒らし民を苦しめる八面大王という『鬼』がいるのを見ました。

民:「田村麻呂様ぁ~、どうかあの鬼を成敗おくんれやすぅ」

・・・という安曇野の民からの依頼に答えべく、田村麻呂様は八面大王を弓矢で退治し、二度と生き返らないように身体をバラバラにしてやったとさ。

めでたし、めでたし。

上の写真の塚は、バラバラにされた八面大王の胴体が埋められていると言われる場所。

これに対し・・・


<安曇野側伝承編>

むかーし、むかーし。桓武天皇(785~805年)の時代。
魏石鬼八面大王様という怪力無双の首領が平和な安曇野地区を治めていました。

ある長閑な日。
中央政権から蝦夷征伐の為に派遣された田村麻呂軍がこの地を通りがかり、北征の足掛かりとして沢山の貢物や無理難題を押し付けて民を困らせ、やがて村は焼き払われ、女・子供まで巻き込まれていきました。

民:「八面大王様ぁ~、
どうかあの田村麻呂という「鬼」を退治して下さい!」


民の懇願に胸を打たれた八面大王様は、ついに立ち上がり有明山の麓にある岩屋に籠って戦いましたが、山鳥三十三斑の尾羽で作られた矢を浴びて、ついに力尽きました。

鬼畜・田村麻呂は、あまりの大王の強さに恐れをなし、大王の体をバラバラにしあちこちに塚をつくって葬り、復活しないように祀ったとさ・・・。

いと悲し。

・・・まったく正反対の話ですね。

ちなみに上の写真の「大王窟」は、有明山麓に実在する魏石鬼窟(ぎしきのいわや)を再現して作られたものである。大王わさび農場の八面大王に対する想いが詰め込まれている。

大王窟の中。
真っ暗で、ひっそりと二体の石仏が鎮座されている。

「大王窟」に並んで造られたこちらが「開運洞」

こういった田村麻呂による「鬼退治」の伝承は、ここ安曇野に限らず全国に点在している。
それは、蝦夷征伐を大義名分としながら、「まつろわぬもの」=中央王権に対して抵抗していた(少数の)地方豪族を殲滅するための行軍も兼ねていたのでは? と、感じている。

「開運洞」内。七福神が掘られた道祖神像。


そして、八面大王はやめのおおきみ(八女大王)の末裔とも言われ、九州に関係する説があったりする。

八女大王=筑紫君葛子とし、磐井の乱(527・528)での敗北後、土地をヤマト政権に渡すことで死罪を免れ、一族(安曇族)は、日本海を北上して安曇野に逃れ、クニを作ったという説である。

矛盾点が多いが、八面大王が有明山の麓で命を絶ったというところに、やはり海神と安曇野との関連性を感じさせずにはいられない。

ちなみに有明山にある魏石鬼岩窟については、ここ参照ください。
→当Blog 八面大王 魏石鬼岩窟


次回も安曇野の風景を☆

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