相模國古社巡り -1 相模國一宮 寒川神社

相模國古社巡り
1-1 寒川神社~関八洲総鎮護

(神奈川県高座郡寒川町宮山3916御鎮座)

タイトルの通り相模國のお社を巡ってみようと急に思い立ち、夜明けと同時に家を出発し、いざ相模國一之宮寒川神社へ。ちなみに参拝日は1月9日でした☆

電車を乗り継いで相模線なるローカル線に乗り、宮山駅下車。
歩いて10分程で、寒川神社へ。

三の鳥居

神域の境である清流の上に太鼓橋が架かっていたが、あまりに人が多過ぎて殆ど掲載できそうな写真が撮れなかった。


こちらは、鳥居脇にある御神池。
ここから緑で囲まれた参道が続くが、やけに人(参拝客)が多い。
そして、境内に到着すると・・・



何という混みよう!!
恐らく「八方除」祈願目当ての行列なのだろう。

寒川神社は、古くより関八州の守り神として、また江戸の正裏鬼門をお護りするお社として、全国唯一の方位除・八方除の守護神として信仰されてる。(神社HPより)

到着時刻8:30頃なのに・・・(唖然)

尚、後方の神門には新年のみの名物(!?)「迎春干支ねぶた」が掲げられていた。

拝殿はとても大きく参拝客も大賑わい!
神楽殿などがない分、境内は広々としていて、開放感溢れる感じであった。

拝殿内をパシャリ☆
「八方除」祈願されているようだが、この拝殿の収容人数は216名!

かなーり驚いたところで、御由緒を。

御祭神は寒川比古命と寒川比女命。
ニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称している。

寒川大明神は相模国を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導せられた関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきた。
わけても八方除の守護神として、地相、家相、日柄、方位、厄年等に由来するすべての災禍を取り除き、福徳開運をもたらす神様として信仰されている。


御神祭については古くより諸説あり、古代では寒河神といわれ、近世では八幡神(応神天皇)とされ、他にも菊理媛、素盞鳴尊、稲田姫命ともいわれてきた。

明治に入り『特選神名牒』の選があり、その際皇太神宮儀式帳に所載される末社牟彌乃神社(むみのじんじゃ)の御祭神が寒川比古命・寒川比女命であることにより、新たに御祭神にこの一説が加えられ、大正5年12月、御祭神は寒川比古命・寒川比女命二神と定められ、現在に至っている。

神門

古代、相模川沿いは相模国造がおり、また社が高句麗系渡来人入植の地である高座郡に属することから、なんらかの有力な豪族が造営したものと推定される。

雄略天皇(456~479)の御代に奉幣、また神亀4年(727)社殿建立と伝える記録があり、少なくとも千五百年以上の歴史を誇ることになる。

本殿

初めての公の記録は、仁明天皇承和十三年(846)神階従五位下を授けられたとの『續日本後紀』の記録。爾来神階の授与が度々なされており、齋衡元年(854)従四位下、元慶八年(884)正四位下、延喜十六年(916)正四位上と進階された。

また『延喜式』神名帳(927年編纂)によれば、相模国十三社のうち、唯一の名神大社とされている。

後には源頼朝、北條義時、武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰をうけており、いずれにしても千五百年余りの歴史を有する古社で、相模国一之宮とも称され、霊験あらたかな神社として現在に至るまで信仰されている。

元国幣中社。現在は神社本庁傘下の別表神社である。

(以上、寒川神社HP及びしおりより抜粋)

上の写真は本殿。
敷地から出て離れたところから撮影したのに、この大きさ。
相当儲か・・・(以下自粛)

この竹垣で囲まれた2本の御神木と注連縄。
寒川神社公式HPにあった「八方除」説明ビデオで、ここの箇所だけ「ぼかし」が入っていた。
何か特別な意味があったのだろう。

寒川神社はテレビ界では古くから「視聴率祈願の神社」として知られ、新番組開始前に視聴率獲得を祈願して参拝を行うテレビ関係者は後を絶たないらしい。

神門脇から社殿を眺める
しゃがんで撮影していたら、もっと良い写真だったと思う・・・

延々と続く淡い桃色のおみくじの壁

南門

元の神門を移築。
昭和4年竣工の旧御本殿をしのぶ建物

ここは境内外にある寒川神社末社 宮山神社。

寒川神社末社宮山神社は、古くよりこの宮山各地区に鎮座していた七社の小祠を、現在の社地に御社殿を建てて合祀している。

明治41年12月琴平社(大物主神・神戸鎮座)に、八剣社 (須佐之男神・八剣鎮座)、雷社(健御雷之男神・雷鎮座)、祢岐志社(聖神・根岸鎮座)、若宮八幡社(大雀神・旭鎮座)の四社が合祀され、大正3年9月に稲荷社(宇迦之御魂命・中州鎮座)が合祀された。

大正12年の関東大震災により、社殿が半倒壊するなどの被害を受けたが、昭和5年国費を以って復旧した。
昭和44年9月、三峰社(伊邪那岐命、伊邪那美命・上合鎮座)が合祀されている。

そんな境内の喧騒から少し離れた場所に二体の道祖神像が並んでいた。
立派な社殿、そしてごった返す人並みで疲れていたので、この像を見つけた時、思わずホッとした気持ちになった。


次回は・・・
さきどり神社へ御参拝☆

Comments

Popular posts from this blog

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社