相模國古社巡り -2 相模國四之宮 前鳥神社


相模國古社巡り
2 前鳥神社

(神奈川県平塚市四之宮4-14-26御鎮座)


大混雑だった寒川神社につづいては、相模國四之宮とされている前鳥神社(さきとりじんじゃ)。
平塚駅からバスで約10分程で到着。
社頭

境内に広がる森と、その先の社殿の景色がとても爽快。

鳥居前に梵鐘があった。
『鐘を鳴らしてください☆』と、看板に書いてあったので、景気よく『ゴーーーッン!!』と鳴らしました(笑)

 これは恐らく御神木。
季節のせいか、葉は落ちているが春になれば新葉が現してくれるはず。
尚、社号標には『前取神社』と表記されている。

そして拝殿へ。
主に地元の参詣客で賑わいをみせていた。

そんなところで御由緒を。。。

(御祭神)
菟道稚郎子命
(うぢのわきいらつこのみこと・・・宇遅能和紀郎子)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
以上、三柱の神様をあわせて「前鳥大神」と称する。

前鳥大神(菟道稚郎子命)は、第十五代応神天皇の皇太子で、当時百済から来朝していた阿直岐(あちき)から帝王への道を学ばれた後、博士王仁(わに)を師として学問の道をひらかれた。

論語や千字文などの漢籍をわが国で最初に学ばれた方でもあり、帰化した渡来人技術者を篤く庇護し、俊秀の誉れから皇太子と定められたが、兄大鷦鷯命(おほさざきのみこと、後の仁徳天皇)と皇位を譲り合い、ついには兄君をたてて自らはお隠れになったと言い伝えられている。
(*古事記によると、早死されたとされている)

神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川河原に接する自然堤防の南端で、地形名から起こったと言われている。(ちなみに埼玉の見沼一帯と同様に、相模川を中心に平塚~厚木一帯は大きな湖沼だった)

奈良時代の天平7(735)年の『相模國封戸租交易帳」には「大住郡埼取郷」として記載されている。
この「さきとり」の地に奈良時代以前、畿内から御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地にお祀りしたのが「さきとり」神社と考えられる。

本殿

延喜年間(901~923)に編纂された『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社が収録されている神名帳に、当神社は「前鳥神社」と記され、相模国の十三座のひとつとして登載されている。
また、四之宮の称は、養老年間(717~724)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになった。

鎌倉時代には幕府の崇敬を受け、建久3(1192)年8月、源頼朝公夫人政子の安産祈願にあたり神馬の奉献があり、建暦2(1212)年に幕府は当社を将 軍家祈祷所と定めました。

近世に入ると、関東八カ国の領主となった徳川家康公は天正19(1591)年11月、当社に武運長久祈願のために朱印地十石を寄 進、あわせて社地二千百余坪を除地として加護しました。
当神社は、この地に鎮座して以来、連綿と祭祀を続けてきました。

境内社 神戸神社(ごうど)

時代が近世初期になってからは、寺社領の確定により、古義真言宗雪霜山鏡智院神光寺が別当寺として祭事のすべてを掌っておりました。

そして、明治維新の大改革の際に鏡智院家が復飾、名を神代にあらため、現在に至るまで神仕(かみつかえ)の職に就いています。
(以上、御由緒より)

境内社 奨学神社

境内社には、神戸神社と奨学神社が鎮座されている。
神戸神社の御祭神は天照大神・素戔嗚尊で、奨学神社は阿直岐命、王仁命、菅原道真公が祀られている。

この神社は奨学神社も含めて、「学問の神」「進学の神」として受験生などに篤い信仰を受けているらしい。

神社から西手にある朱鳥居。宮司さんが所用から戻ってきたところを、しっかりパシャリました☆
「新年の鐘」も鳴らしたし、とても良い気分になって、次の神社へいざ参らん!

Comments

  1. こんにちは。
    神社で梵鐘があるのは、神仏習合の名残なのでしょうか?
    私はまだ神社単体ではそういうところに出会ったことがないので、興味深く見せていただきました。
    ありがとうございました。

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  2. たっつんさん>
    コメントありがとうございました☆
    明治時代の廃仏毀釈運動の混乱の中残ったのでしょうね^^
    相模(神奈川)は、他の神社の門前にも梵鐘がありました!

    ReplyDelete

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