武蔵國探訪記 -3 野球と芸能の社~箭弓稲荷神社


武蔵國探訪記 -3

野球と文化・芸能の社 箭弓稲荷神社

(埼玉県東松山市箭弓町2-5-14御鎮座)

東武東上線、東松山駅下車。
一の鳥居
西口から歩いて数分で箭弓(やきゅう)稲荷神社に到着できる。

三の鳥居

境内の雰囲気。
とても落ち着く佇まいです☆

朱色の鳥居、その先には拝殿が待ち構えている。
尚、社格は別表神社に列している。
県の指定文化財になっている現在の社殿は権現造りで、天保六年(1835)に造営されたもの。

この辺で御由緒を。

御祭神は、保食神(うけもちのかみ)(宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)豊受比賣神(とようけひめのかみ))の三柱。

当神社のご創建は、和銅五年(712年)と伝へられ、規模の大きさ、ご社殿の荘厳さとご霊験のあらたかさで、大勢の方々の信仰を集めています。

社記によると、平安時代の中頃下総の国(千葉県と茨城県の一部)の城主、平忠常が謀反を起こし、またたく間に近隣諸国を切り従へ、ついにその威を関八州にふるい、大群をもって武蔵の国(埼玉県と東京都・神奈川県の一部)川越まで押し寄せてきました。

神楽殿

朝廷は、武門の誉れ高き武将~源頼信を忠常追討の任に当たらせ、当地野久ヶ原に本陣を張り、頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行きました。

頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、自ら先頭に立ち敵陣に攻め入ると、ふいを突かれた忠常軍はあわてふためき、一旦は後退したもののすぐに盛り返し、三日三晩にわたる激戦も、神を信じ戦う頼信軍が勝利しました。

帰陣した頼信は、ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませると、この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、ご社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じたのでした。 
本殿

以来、箭弓稲荷神社は松山城主、川越城主をはじめとして多くの人達等の信仰を集めてきましたが、平和な時代を迎へるとともに、前にも増して隆盛を極め、特に江戸時代には、江戸(東京都)をはじめ、四方遠近からの参拝者で社前市をなしたといわれています。

現在も大小百あまりの講社があり、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神であるとともに、交通安全、厄除、火難除、開運、学業成就、芸能向上等の祈願社として信仰を集めています。

(以上、箭弓稲荷神社配布「御由緒」より)

この本殿は、正徳5年(1715年)に地頭・島田弾正の計らいにより建造されたもの。
とても立派な造りである☆

さらにその奥には元宮が現本殿の真後ろに鎮座していたが、写真写りが悪くて消去してしまったようだ・・・。

ちなみに、「箭弓=やきゅう=野球」と、同じ読みからなのか、プロ野球をはじめとする野球関係者が多く参拝する事でも知られている。
特に、西武ライオンズの選手が頻繁に訪れるらしい。

よって、バット絵馬や野球絵馬など、『野球』関連のお守りが多く売られていたw
また、商売、勝負の神様としても有名である。
本殿横脇に設置されていたむすび石なるものを発見。

ここは末社である圓十郎稲荷(通称・穴宮)
御祭神 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)

社記によると、遡ること七代目市川團十郎は特に厚く当社を崇敬しており、社に籠り芸道精進、大願成就のご祈願をいたし、その当時、江戸の柳盛座の新春歌舞伎興行において「狐忠信」「葛の葉」等の芸題を披露しましたところ毎日札止めの大盛況となりました。

これはひとえにご神威、ご霊験のあらたかなることだと感得した團十郎は、文政四年(1821年)の秋、当社に石造りの祠を建立しました。以来江戸の役者衆や花柳界をはじめ、芸能・技術の向上を願う方々の信仰が厚く、芸能・商売繁昌の守り神として広く崇敬を集めています。
(以上、御由緒及び境内案内板より)

成田屋の市川海老蔵(11代目)さんも、こちらに来て御参拝と厄払いされてみた方が良いのでは^^

また主な芸能人の崇敬者には落語家・林家一門も崇敬している。

1964年(昭和39年)の週刊新潮に載る林家三平の談によると、海老名家(林家)には代々手のひらに乗るほどの小さな「武州松山の箭弓稲荷様」が伝わっている。
いつごろのものかわからないが、海老名家の先祖は講談で有名な町奴、幡随院長兵衛に 登場する旗本、水野十郎左衛門の配下、海老名弾正とされ、箭弓稲荷様は海老名家の守り神様で、いつも肌身はなさず持っている。

楽屋にいる時は、楽屋に祀り、手を合わせて拝む。この手が拝むときに上がれば、その日の高座の芸はうまくいき、下がれば調子が良くない。誠に霊験あらたかな神様である、という話である。
(Wikiより転載しました)

歌舞伎のスーパー・スター一門が末社を建立したり、林家一門の崇敬が篤い神社がここ東松山にあったという事を知って、少し感動☆

建築物の造詣だけでなく、神社と町の歴史・崇敬者などを知ると、より一層興味が湧いてきます☆


次回は・・・
今度は人生初の越生線へ!

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