武蔵國探訪記 -4 出雲伊波比神社 埼玉最古の神社建築


武蔵國探訪記 -4

出雲伊波比神社

(埼玉県入間郡毛呂山町岩井2915鎮座)


参拝した日は冬至に近い日。
東松山の箭弓稲荷神社からそんなに遠くないと見込んで訪ねてみた。

東武越生線「東毛呂駅」から徒歩10分程度で明らかに神社の社叢と分かる森を発見!

早速臥龍山を登山。
暗くなり始めているので、入口の鳥居なんて撮っている余裕はなかった(汗)

尚、写真では明るく見えますが、面倒だったので景色モードで撮影したので、高露出になったのでしょう・・・。

『山道』の中。
きっと太陽が高いうちであれば、心地よさでココロが満たされていたのだろうが、漆黒の闇に包まれはじめてきて、正直怖かった。
夕暮れ時の森の中は、昼の穏健さに対して、『入るな!』と言わんばかりの威圧感のようなものに襲われてしまう。

そんな鎮守の森を抜けると、臥龍山頂に鎮座する「出雲伊波比神社」の石碑が・・・(涙)
かなーーり、ホッとした。

そんなところで御由緒を・・・。

御祭神
大名牟遅神(おおなむちのかみ)
天穂日命(あめのほひのみこと)
品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)他

御由緒

出雲を中心として国土経営・農事・産業・文化を興され、全ての災いを取り除かれたオオナムヂ神、天孫のために出雲の国土を移譲する国譲りに奔走し、オオナムヂ神が杵築宮(出雲大社)に入られたのち、そのみたまをいわい祀る司祭となられたアメノホヒ命(アマテラスの御子)の二柱を主祭神とした神社である。

創始
古くは出雲臣(いずものおみ)が斎祀する社であった。
景行天皇五十三年(123年)に倭建命(ヤマトタケル命)が東征凱旋の際、侍臣である武日命(タケヒ命=大伴武日)に命じて社殿を創設、神宝として「比々羅木鉾(ひひらぎのほこ)」をおさめられたと伝えられ、元に東北方向けて鎮まり坐す。

今も本殿内で鉾の先を東北にむけているという。

出雲伊波比の神名初見は、宝亀三年(772)の太政官府においてで当社それによってその論拠をえたのである。それによると、当社は天平勝宝七年(765)には官幣に預る「預幣社」となり、延喜式神名帳にも記載され当社が延喜式内社とよばれるゆえんがそこにある。

本殿建築は流造一間社で屋根は桧皮葺形式、大永八年(享禄元年=1528年)9月15日に毛呂三河守藤原朝臣顕繁再建によるもので、埼玉県下最古の神社建築である。棟札二面とともに国指定重要文化財。

また埼玉県内で「流鏑馬」(11月3日)が唯一毎年奉納される。900年以上の歴史をもつ。
(以上、神社案内板より)


ちなみに、中世期には茂呂(毛呂)明神、飛来明神、八幡宮とも称されていた。
八幡宮は源頼義父子が当社を参詣後に凱旋し八幡宮を相殿にまつったことに始まり、明治期まで二社併立していたらしい。

このような歴史ある神社が埼玉の北西部にあったなんて知らなかった。
深い森に包まれた社叢に、趣き深い参道、そしてこじんまりとしながらも立派な社殿。

もう一度参拝したいと思った神社であった。

埼玉県内では最古の神社建築として、棟札2面と併せて、国の重要文化財にも指定されている本殿。とても『美』に満ち溢れた社だと思った。


そして、帰路。
最寄駅の東毛呂駅に到着する頃には、すっかり夕闇に包まれてました。

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