相模國古社巡り -4 相模國総社 六所神社

相模國古社巡り
4 六所神社

(神奈川県大磯町国府本郷935)

JR平塚駅から東海道線で二宮駅へ。

時刻はまだ12:00頃・・・。
神社の中に入るとのんびりするタイプなのだが、効率よく巡ることができ、さらに路線バスなども不思議な位にほぼ待ち時間なしに乗車することが出来た。

ということで、六所神社前に停車するバスも二宮駅下車時にたまたま停車していて、難なく目的地へ辿り着くことができた。

メイン街道沿いの大鳥居をくぐって、乗用車1台入るのがやっとのトンネルもくぐる。

すると、参道には樹齢600年と伝えられる大欅(ケヤキ)がデーンと立っている。
巨木好きなボクは、当然コブの箇所を撫でて、「元気にな~れ」と祈願しました☆

そして六所神社へ。
この神社は相模国総社として・・・

寒川神社祭神
川勾神社祭神
比々多神社祭神
前鳥神社祭神
平塚八幡宮祭神

の御分霊を勧請している。

この神社も大勢の参詣客で賑わっているせいか、なかなか写真がうまく撮れません。
なので、手水舎の龍の口の写真で御勘弁を。

ここは御神池に浮かぶ「六所ひぐるま弁天社」

この辺で御由緒をひとつ・・・

主祭神 : 櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊 「柳田大明神」と称される。
寒川神社祭神、川勾神社祭神、比々多神社祭神、前鳥神社祭神、平塚八幡宮祭神の御分霊を勧請

第十代崇神天皇の頃、出雲地方よりこの地に氏族が移住せられ、この地を『柳田郷』と名付け、氏族の祖神たる櫛稲田姫命、須佐之男命、大己貴尊を守護神とし『柳田大神』と称した。
御創建は崇神天皇甲申の歳と伝えられている。
大化改新後、国司の制度がはじめられゆく中、元生天皇の御代養老二年(718)に、石上台山頂より奉遷歴勅を以て相模国八郡神祇の中心たる、相模国の総社として現鎮座地に遷座。
その時より、柳田大神に、一之宮寒川神社、二之宮川勾神社、三之宮比々多神社、四之宮前鳥神社、平塚八幡宮の分霊を合わせ祀り相模国総社六所神社と称されるようになった。

拝殿

戦国時代には、戦国大名の小田原北条家の崇敬も大変厚く、また、後に関東を支配した徳川家康も此に倣い、六所領五十石(相模国では2番目の大きさ)寄進の御朱印状をよせ、以後歴代の徳川将軍も同様に五十石を寄進し明治に至っている。

本殿

現在の御本殿と社殿を支える石垣は、戦国大名北条家造営のもので、北条氏綱公が永正年間(1501~1520)に社殿の造営、四代目左京大夫氏政公が御本殿の修復を行い、この本殿が現在のものである。
五間社流造で、造営当時は全体が朱色に塗られていた。相模の神々のために設けられた五つの御扉が特徴。

また、棟札(建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札)は天文九年(1540)に鎌倉の鶴岡八幡宮造営の参考として持ち出されており、平成の六所神社造営工事では発見できなかったという。

鶴岡めぇ~、持ち逃げしおったな!

(以上、御由緒より抜粋)

お焚き上げ兼暖を取る休憩所でホッと一息。
よく見ると、立派な石垣が見えると思うが、これが北条家寄進の石垣だそうな。

次は再び神奈中バスに揺られて二之宮・川勾神社へ。

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