相模國古社巡り -5 相模國二之宮 川勾神社


相模國古社巡り

5 川勾神社

(神奈川県中郡二宮町山西2122御鎮座)


神奈中バスに揺られて、「押切坂上」で下車。
テクテクと上り坂の道を歩く。
真冬だったが、日差しが優しくボクを照らしてくれたおかげで、そんなに寒く感じない。

道中発見した石像。
写真では全く何か分かりにくいが、道祖神像でした。

社頭

バス停から徒歩20分程で川勾神社に到着。
鳥居の門構えに、お正月の佇まいを感じる。

鳥居をくぐり、石段を登っていくと・・・

神門

藁葺の神門がお姿を現した!
とても古風ゆかしい門構えで、とても渋い。

そして、境内へ。
『芽の輪(ちのわ)』がデーンと鎮座していた。

大祓とは、犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。
(一般的には6月の大祓が有名)

2010年はロクな年でなかったので、幸ある2011年になる為に、しっかりと輪抜けさせて頂きました^^

社殿
御祭神
大名貴命
大物忌命、
級津(シナツ)彦命・級津姫命(相模国が昔相武と磯長に分かれていた頃、磯長の国を御開拓された神)
衣通姫命(そとほりひめ)

御由緒
当社は相模国二宮で古くから『二宮大明神』と称し、延喜式所蔵の名社である。
十一代垂仁天皇(BC29~71)の朝当国を磯長国と称せし頃、その国造阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護のため崇招せり。

日本武尊東征の時、源義家東下りの時に、奉幣祈願されている事から武将の崇敬深し。

人皇十九代允恭天皇(412-454)の皇妃衣通命皇子ご誕生安穏のため奉幣祈願あらせらる。
一條天皇の御宇永延元年(987)、栗田中納言次男次郎藤原景平、当社の初代神宮となり、璽末今日に及ぶ。

本殿裏手の御神域

社殿造営の沿革として記録に残っているのは、建久年間(1190~1198)源頼朝社領若干寄附し社殿造営の事あり、応永年間に兵火に遭ったが、応永三十年(1423)後北条氏により再建。

永禄四年(1562)上杉景虎小田原攻める時、兵火により焼失。またも元亀年間(1570~1573)北条氏によって再建。
特に小田原城から丑寅の方角に当社は鎮座している為、北条氏の鬼門守護神として格別崇敬が篤かった。
現在の社殿は昭和七年造営との事。


徳川の朝に至り、家康公名護屋出陣の際、祈祷札を献上殊の外喜ばれ御朱印地五十石を寄せられ、正月には必ず江戸城に登城して親しく年礼申し上げ御抜札を献ずるのが例となり幕末まで続行せり。

明治六年(1873)郷社に列せられ、昭和七年県社の内示受け現在に及ぶ。
(以上、御由緒より要約)

光りのラインが神門と芽の輪を神々しく照らし、木漏れ日が光の造景を大地に作り出す。
とても神々しい風景。

社頭から眺めた辺りの風景。
潮の匂いも何となく感じられて心地よい。

機会があれば、もう一度参拝したいと思った神社であった。

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