武蔵國探訪記 -8 玉敷神社 久伊豆神社の総宮と鴻神社


武蔵國探訪記 -8

玉敷神社 (久伊豆大明神)

(埼玉県加須市騎西552-1御鎮座)


久伊豆神社は、総本社である騎西町の玉敷神社を中心に、東は元利根川から元荒川を中心に西は見沼代用水を境に、埼玉北東部にかけて集中して鎮座している。(計53社)
また、見沼より西側(荒川を中心に武蔵野台地一帯)は氷川神社(約165社)、元利根川以東は香取神社(約130社)鎮座している。

詳細は(アバウトですが)下記分布図にて・・・


より大きな地図で 武蔵国神社分布図 を表示

赤色~氷川神社
 (総本社:大宮氷川神社・・・武蔵国一宮、主祭神:須佐之命)
青色~久伊豆神社
 (総本社:玉敷神社、主祭神:大己貴命~須佐之命の子・六代孫)
黄色~香取神社
 (総本社:香取神宮・・・下総国一宮、主祭神:経津主大神)
緑色~杉山神社
 (主祭神:五十猛命・・・須佐之命の子)


黄色の箇所は、元々下総国の領地(現在の埼玉県東部一帯は下総国葛飾郡)だったので、香取神社が多く鎮座されているが、氷川神社以東~武蔵国境は久伊豆神社が圧倒的に多い。
また、相模国境付近には杉山神社が多い。

荒川以西(というか、すぐ隣り)で、幼少時代を過ごした小生にとって、「久伊豆神社」という名を冠した社が埼玉県内に数多くあるなんて全く知らなかった。

と、同時に氷川神社(須佐之命)を守護する為に、息子の大己貴命は北東の鬼門に久伊豆神社、南西の裏鬼門には、同じく息子の五十猛命を主祭神である杉山神社を鎮座させているのでは?と妄想。

本当、知らない事が多過ぎる!
我、学んで感ぜよ!!


ということで、玉敷神社へ御参拝。
鷲宮神社へ参拝後、東武伊勢崎線で加須駅下車⇒朝日バス『免許センター』行で、騎西一丁目で下車。
すると、蔵が並ぶ「昭和初期的」な風景が広がっていた。

アブデンみその看板や、お醤油メーカーのブリキ看板がとても懐かしい!


この「月象印トタン板トップハード」という看板。
アンティーク看板の裏マーケットで14300円の売値がついていた・・・。
タイル貼りの外壁とは、何ともモダン。

そして、清酒はやっぱり力士!
トタン壁の寂れ具合が、時の流れを感じさせる。
この水月というお店から数分で玉敷神社の境内に辿り着くことができる。

社頭の様子。
西日がガンガン射して眩しい。

参道脇には、文学博士で元國學院大学長であった河野省三氏の旧宅跡地があった。
看板案内によると、国学の発展に重要な功績を遺した教育界の重鎮だった人物とのこと。

そしてようやく社殿が見えてきた。
この辺で御由緒を。

御祭神は大己貴命。
創建は第42代文武天皇の御代、大宝三年(703)に東山道鎮撫使・多治比真人三宅磨により創建されたと伝える。また一説には成務天皇六年(136)武蔵国造・兄多毛比命の創建ともいわれている。
『延喜式内』の古社。

創建以来、現在地より数百メートル北方の正能村に鎮座していたが、天正二年(1574年)、上杉謙信による兵火のため、社殿をはじめ宝物・古文書などが焼失。

江戸時代に入り、騎西城(寛永九年(1632)廃城)の守護神とされて、大手門前に遷座再建されるものの、城内火災がたびたび起きたため、寛永四年(1627)頃に、城前から現在の地に再鎮座して、今日に至っている。

玉敷神社は明治時代に至るまで「玉敷神社・久伊豆大明神」と称し、旧埼玉郡の総鎮守、騎西領48箇村の総氏神として崇敬され、『騎西の明神様』の通称で呼ばれて篤い信仰を集めていた。

今日、元荒川流域に沿う各地に「久伊豆」の名を冠する神社が数多く分布鎮座している事実は、当神社の昔日の広い信仰領域の歴史を物語っている。

尚、戦前の社格は「県社」であった。


社殿についてだが、本殿・幣殿は文化13年(1816)の建築、拝殿は明治31年(1898)の改築である。本殿周囲を飾る彫物は当時「江戸三名工」の一人と謳われた五代目後藤茂右衛門の作とされる。

当社には、300年を超える伝統を持ち、江戸神楽の原形を伝える文化庁選択・県指定無形民俗文化財「玉敷神社神楽」 が保存され年4回(2月1日、5月5日、7月15日、12月1日)素朴で優雅な舞が披露されている。
(以上、玉敷神社案内板及び御由緒より抜粋)

本殿の佇まい。
尚、写真には収めなかったが、白石の取水口があり、『御神水』として定期的に開放しているらしい。

こちらは神楽殿。
藁葺き屋根が何とも素朴で古式ゆかしい。
「玉敷神社神楽」が定期的に奉納されているので、非常に手入れされた建物のように見受けられた。

神社裏手の鎮守の森も遊歩道が設置されていて、少し散歩したいな~と思ったが、残念ながら時間切れ。鴻巣駅行きのバスに乗って、帰宅することに。
古式ゆかしい社に巡り合えて良かったな、と感じた。


バスに揺られて、地平線の彼方まで広がる田園を抜けること、約30分。
ようやく鴻巣駅へ到着。

折角だから鴻巣の鴻の冠を名に持つ社へ訪ねてみることにした。

ちなみに上の画像は鴻巣中心街の風景。
空っ風が寒い・・・。

鴻神社
(埼玉県鴻巣市本宮町1-9鎮座)

御祭神:スサノオ(氷川社)、ハヤタマノオノミコト(熊野社)、ワケイカヅチノミコト(雷電社)

明治六年に竹ノ森雷電社(当地)と、氷川社、熊野社の三社が合祀されたもので、もとは鴻三社と称していた。さらに明治35~40年にかけて八社を合祀し、鴻神社と改名。
当初は市内宮地5丁目(氷川社)にあったが、後に現在地に移転した。
尚、【この神社】には『こうのとり伝説』という伝承話がある。

・・・その昔、この地に「木の神」といわれる大樹があって、人々は供え物をして、「木の神」の難を避けていました。

ある時、こうのとりがやって来て、この樹の枝に巣を作りました。
すると、大蛇が現れてその卵を飲み込もうとしたので、こうのとりは大蛇と一戦を交えて退散させました。

それ以後、「木の神」が村の民を害することなくなったので、この樹のそばに社を造り、この社を鴻の宮と呼び、この地を鴻巣と呼ぶようになったとさ。

めでたし、めでたし・・・。

しかし、この伝説の舞台地は、合祀させられた氷川社(鴻ノ宮氷川大明神または端ノ宮(はじのみや)と呼称され、「鴻巣郷総鎮守」として広く崇敬を集めた古社)であり、残念ながら現在の鴻神社横に賽銭箱と共に鎮座している御神木は、『こうのとり伝説の木の神』ではありません。。。


次回は久伊豆神社を巡ります☆

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