武蔵國探訪記 -9 久伊豆神社 (岩槻)


武蔵國探訪記 -9 久伊豆神社 (岩槻)

(さいたま市岩槻区宮町2-6-55御鎮座)

地震などで更新どうしよっかな?と思いましたが、「平静を保つこと」が小生の義務だと思うので、通常通りUPしていきます☆

まだまだ続く武蔵國探訪記。
今回はさいたま市岩槻区に鎮座されている久伊豆神社について。
越谷にも同名の神社があるが、それは次回・・・。


東武野田線、東岩槻駅から歩いて20分程に久伊豆神社は鎮座されている。
道中の元荒川の風景。
とても長閑な雰囲気で、心温まる。


一角が巨木で覆われた久伊豆神社の社頭。
鳥居の向こうが薄暗い。少しワクワクしてきた。

そして参道。
鬱蒼とした木々に囲まれた道が約500メートル程続く。

賽の神、猿田彦大神の石碑が、門前に構えている。
「文化二乙丑年四月吉日」と書かれていたので、1805年に建てられたもの。
また、狛犬の上に常夜燈が・・・。

そして二の鳥居。
まだまだ参道は続きます^^;
緑に囲まれた森の中を歩いていくと、本当に清々しい気分にさせてくれます☆


二の鳥居脇に鎮座されているのは、明戸庚申。
御祭神は先の石碑同様に猿田毘古神。

サルタヒコは記紀神話で、『天孫降臨』の際に邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来た国津神のこと。
天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。

また記紀での「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形とされたり、さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたり・・・と多様な神とされ、民間に親しまれている。

途中、このような神苑と呼ばれている日本庭園があったり・・・
(昭和4年、故斉藤善八氏により奉納された「枯山水」の庭園)

歴史を感じさせる神楽殿があったり・・・
さらに、孔雀の飼育小屋も境内にあったりと、近所にあれば必ずお散歩コースになる事必至の参道であった。

そしてようやく三の鳥居、そして拝殿へ到着。


この辺で御由緒を・・・

久伊豆神社の御祭神は、国土開拓・生成化育・子孫繁栄を掌る神、大国主命(大巳貴神)である。

当神社は約1400年前(古墳時代)、欽明天皇(539-571)の御代、出雲族土師(はじ)氏が、東国移動の際にこの地に大国主命を出雲国より勧請し、社殿を建立したのが始まりとされている。

久伊豆神社は元荒川流域に約60社現存しているが、それは平安時代に台頭した武家集団(武蔵七党)の影響によるものと考えられている。中でも元荒川流域に勢力があった野与党と私市党の崇敬を集めていた。

戦国時代には、神社の境内に別当寺である真言宗の光明院という寺院がおかれ、神事の執行はこの僧侶が行っていた。一方で、太田道灌が築城した岩槻城の城郭内の鎮守としても崇められ、軍事の成功等を祈願したといわれている。

以降、江戸時代まで歴代の城主から守護神として崇敬を受け、太刀・神輿・絵馬など数々の品が奉納されていたが、明治8年1月の火災により、神輿や多数の古文書・寄進物が焼失してしまった。

また、この地は御成街道の宿場として古くから開け、近くの村々たくさんの人々からも崇敬されていた。

明治になると廃仏毀釈により光明院は廃寺になったが、久伊豆神社は城と町とともに歩み、武州岩槻総鎮守として現在に至る。
(以上、御由緒書、及び境内案内板より)

こちらが本殿。
森に囲まれて静かに佇んでいる。

摂末社として、冒頭の明戸庚申の他に北野天満宮(御祭神:菅原道真公)、伏見稲荷社(宇迦之御魂神)、そして榛名山神社(埴山毘売神)がある。

ちなみに、名前が「くいず」とも読めることから「クイズ神社」とも呼ばれ、岩槻久伊豆神社が「史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」(1987年)の国内第二次予選会場として選ばれた。

その影響で岩槻久伊豆神社の知名度が高まり、近年クイズ番組での優勝祈願に訪れる者も増えている。クイズ番組制作者は越ケ谷久伊豆神社に行くのが業界の通例となっている。
(クイズの箇所のみWikiより引用)

本殿裏手には、目通り1.5メートル、高さ13メートル、樹齢約四百年にもなる大榊がある。埼玉県指定文化財(天然記念物)に指定されている。

久伊豆神社を「社叢の森」とともに鎮守されているように思えた。

東武野田線が、けだるい真昼間にスピードを出して通過していく。

ボクは、スローダウンしながら次の参拝地、
北越谷の久伊豆神社へ向かう。

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