地震を鎮める要石のおはなし

むかーし、むかーし、その昔。

鹿島の神、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)・香取の神、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)の二柱の大神は天照大神の大命を受け、葦原中国を平定し、香取ヶ浦に至った。

しかし、この地方はなお「ただよえる国」であり、地震が頻発して民はいたく畏れていた。
そして、この地には大きな鯰魚(ナマズ)が住みつき、荒れ騒いでいるとも言われていた。

二柱の神は『これはいかん!』と思い、、頭は鹿島の神、尾は香取の神が地中深く要石(石棒)を差し込み、鯰魚の頭尾を押えて地震を鎮めたんだそーな。

香取の要石は凸形、鹿島の要石は凹形になっている。

こちらは香取神宮の要石

あづま路は 香取鹿島の二柱、 動きなき世を なほ守るらし


この石は鹿島神宮の要石

揺ぐとも よもや抜けじの要石、鹿島の神のあらん限りは

おはなしおしまい。

要石が全国的に有名になったのは、江戸時代の安政の大地震(1854年10月 M8.4)の時とされている。(江戸の下町を中心に約4300人の死者を出し、1万戸以上の家屋が倒壊した)

ちなみに地震が10月(神無月)であり、鹿島の神様は出雲に出掛けていて留守であったから地震が起きたという話の絵巻(タケミカヅチが『すんませーん(^人^)』って、周りの神々からバツの悪そうな顔をしている)が鹿島神宮の宝物館に展示されている。

尚、地震の象徴の大鯰は災いであると同時に富を生むとされている。
「鹿島要石真図」では復興のために、鯰の周りから小判や金槌や鉋(カンナ)といった建築資材が大鯰から散らばっている。

うーん、抜け目ない^^

内閣府の防災情報ページに載っているコラムはここ⇒Link
江戸っ子が自虐的(!?)に安政の地震を楽しんでいる絵図が書かれています☆

地震直後の品川(3月11日午後5時頃)

今回の震災で犠牲にあった方々、生きるための必需品が不足している被災地の方々に対して、お見舞いを申し上げます。

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