キノミヤを追いかけて-1 貴船神社 (真鶴)


キノミヤを追いかけて
1- 貴船神社

(神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1117御鎮座)



川勾神社を参拝した後、携帯WebからたまたまHitしたある言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

「キノミヤ信仰」

『キノミヤ信仰は、神奈川県西部から静岡県伊豆半島にかけての相模湾沿岸部に広く分布する信仰で、主に「キノミヤ」を冠する神社をその対象としている。「キノミヤ」は、木宮、貴宮、黄宮、木野宮、紀伊宮などと書かれ、その祭神も一定でないが、樹木神か漂着神を祀る場合が多い。

紀伊神社(神奈川県小田原市早川) 旧称紀伊宮・木宮大権現。
祭神は五十猛命・惟喬親王
貴船神社(神奈川県足柄下郡真鶴町) 旧郷社。旧称貴宮大明神。
祭神は大国主神・事代主神・少彦名神
来宮神社(静岡県熱海市西山町) 旧村社。
祭神は五十猛命

等々・・・
(その時ケータイで見たWikiより抜粋) 』


・・・これらのお社であれば二宮駅から近いし、
時間も大寒の季節だがまだ午後2時。


さらに伊豆には前々から興味があった。
友人からもらった谷川健一著の『日本の神々』の噴火造島の神と海島神話の誕生の項にて、伊豆国についての詳細な説明が成されていた。

『伊豆国の伊豆諸島の大噴火(神話では、三島大明神と後后である伊古奈比咩の関係に嫉妬した神津島の阿波神とその子である物忌奈乃命(ものいみなのみこと)の祟りによって、阿波神の十二人の童子が炬火をとって、海に入って火をつけてまわったとされている)や大地震、干ばつが起こっていた。

時期はくしくも延喜式神名帳を編纂中の頃。
朝廷は祟りを恐れてか、伊豆国という小さな半島や島々に九十二座もの数の神社を式内社として篤く崇敬した・・・。』

さらに伊豆半島の成り立ちとして、2000万年前本州から数100km離れたフィリピン海プレートで海底火山が隆起し、200万年前に本州に合体してやがて半島になった、という日本列島と明らかに地質が異なり、南方系の植物相が形成された『漂流した半島』というミステリーに包まれた点、そして奇石や巨木が数多く存在する地。


是非じっくりと訪ねてみたかった地方であった。

(追記:本記事は2011年2月中に書いたものです。往古の時から常に震災は起こっていた地域という認識、地表はプレートの上にあり、絶えず変動を続けているという事から、敢えて原文のまま掲載しました)

・・・思い立ったら、まず動く!

ということで、ケータイを駆使して
まずは熱海来宮駅からほど近い来宮神社へ参拝・・・。

・・・が、それは都合上後程。
来宮神社の後に参拝した真鶴半島にある貴船神社について。

社頭

JR真鶴駅からタクシーに乗って約10分。
真鶴港の高台に貴船神社は鎮座されている。

初の石段より御本殿迄の石段数は「一〇八段」。
仏教でいう人間の数多い煩悩の数とちょうど同じ数という事で、貴船神社では、一段一段踏み祓う「禊(みそぎ)の石段」と称されている。

船玉龍神社

石段途中にあった「船玉龍神社」
漁業従事者等の皆様が奉賛している
・・・が、立ち止まってパシャるのが精一杯(汗)

石段はまだまだ続く・・・
48基も並んでいる春日灯篭がとても荘厳な雰囲気を醸し出している。


この辺で御由緒を・・・

御祭神
大國主大神、少名彦大神、事代主大神

御由緒
人皇第五九代宇多天皇の寛平元年(平安前期889年)六月十五日、創建された大変由緒ある神社である。

当時は「貴船大明神」と称し明治元年迄、氏子並びに近郷の人々より厚い信仰で結ばれていた。そして、明治元年「貴船神社」と社名を改め、同六年、郷社に列せられ、同二十四年、神饌幣帛料供進神社に指定され、変わらぬ厚い信仰のもとに現在に至っている。
(神社庁HPより)

・・・とあるが、頂戴した御由緒によると、

貴船神社社殿


今からおよそ1100年前の夏、真鶴岬の三ツ石の沖合いに毎夜不思議な光が現れ、海面を煌々と照らしていた。ある日「平井の翁」という人が磯部に出てはるか沖を見渡したところ、光を背にした一隻の屋形船が波間に浮かび磯辺に近づいて来るので船内を調べてみると・・・、

そこには木像12体と、
「この神をお祀りすれば、村の発展がある」
と記された書状があった。

そこで翁は村人と力を合わせて社を建て、村の鎮守の神としてお祀りしたのが現在の貴船神社の起源と伝えられている。
(以上、御由緒より引用)

社殿については大正十二年九月の震災で社殿が倒壊し、昭和三十八年、新本殿を造営して現在に至っている。

尚、有名な京都貴船神社から勧請された神社ではない。

山神社

山神社

当社は大山祇神を奉斎する。

由緒は不詳であるが、当地方は奈良時代より石材の産出がなされるにより、古来より石材関係者の振興篤く、真鶴半島に奉祀されていたが、数次の移転改築を行ない、明治の初期社殿腐朽のため、当社石工組合により通称愛宕山に移転改築されたところ、大正七年三月二十八日、本村の大火により類焼し、同年十月組合によって復旧したが、土地遠隔にて参拝に不便のため移転の問題が起こり、翌八年四月二十八日貴船神社境内に奉遷した。
昭和五十年四月十七日、社殿を改築。
(境内看板より)

ここ真鶴半島の人々は、漁業と石材という産業を生活の糧としていた。
昔の漁業は船が小さく帆船が多く、石材業においても、石工が人力で石を運搬、切出し等をしており、常に危険を伴っていた。

そこで、「恩返しの祭り」と言い伝えられてきた、年に一回の例祭「貴船まつり」が盛大に開催されている。

起源は寛平元年(889年)六月十五日、「神霊が御船の召されて真鶴岬の突端笠島に降臨されたのを、郷民が船でお迎えして奉斎した故事によるもの」とされている。

神輿船は壮麗で、花山車はとても可愛らしく、一度小生も見学してみたいと思う程の規模である。

境内から石段を眺める。
先には真鶴港が一望でき、素晴らしい眺望。

ちなみにこの真鶴半島。

形成は箱根火山噴火により溶岩が流出した約15万年前と歴史は浅いが、この地から産出される小松石は非常に良質で、わが国の安山岩中、石質は堅硬、耐久性、耐火力には花崗岩よりも強いという点が特色らしく、日本最古の石産地とされているだそうだ。


次回も神奈川「キノミヤ信仰」の社です☆

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