キノミヤを追いかけて-2 紀伊神社~惟喬親王を祀る社

キノミヤを追いかけて
2- 紀伊神社

(神奈川県小田原市早川9御鎮座)


貴船神社→来宮神社を1月に参拝後、
沸々と『キノミヤ巡り』をしたい!という思いが、日に日に強まっていた。

そして2月の連休前、遂に沸点を迎えてしまった。

半ば強制的に早退し、その足で東海道線に乗り、履いていた革靴とネクタイを捨てて、向かうは伊豆半島。

しかし伊豆へ向かう前に、小田原に鎮座している『キノミヤ信仰』の社~紀伊神社で参拝するため、JR早川駅で途中下車した。

早川駅から歩くこと約10分程で、紀伊神社の大鳥居と小さな祠を発見。
どうやら境内は、東海道線の高架橋の先にあるらしい。

高架橋をくぐった先には風情ある石階段。
その先に社殿が薄っすらと姿を現している。

石段を登っていくと、何故か梵鐘が・・・。
相模國は前鳥神社といい、この社といい神仏習合の面影が今なお強く残っているように思えた。

そして、社殿に到着。

御由緒
早川の氏神様で往古は木宮大権現、のち紀伊宮大権現と称され、土地の人からは「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されていた神社である。

神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とが奉祀されている。

木地挽(轆轤師(ろくろ))の開発者といわれる惟喬親王は天安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが、途中風にあい国府津海岸に着き、早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時、親王の付人が木地を挽いて、朝夕の奉仕の料に当てたといわれている。

また、この地には「木地挽」という字名が現存するが、この字名はその名残であるという。

なお、紀伊神社の社宝である「木地挽」は、小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。
(以上、境内案内板より)

境内の裏手を周ってみると、シャコ貝の大きな貝殻が磐座の上に祀られていた。

そして不安定な大石の先には、注連縄で飾られている御神木が威風堂々と根を張っていた。

このクスノキ。
小田原市内で最古の巨木とされているらしい。

間近で見ると、樹木に宿る生命の息吹が聞こえてきそうな迫力。

そして、境内整地の為に伐採されたと思われる広葉樹の根っこから、数多くの葉が伸びはじめていた。
木の生命力とは何て力強いのだろう。

早川の町並みをパシャリ☆
何気ない住宅街だけど、よそモノから見ると『風景』のように感じてしまう。

そんな通りの一角に大切に祀られた道祖神の祠が鎮座されていた。
この地区の道祖神像は「小田原(早川)の道祖神」として、市指定文化財になっているらしい。

この祠は昭和48年に再建されたもの。
早川地区の道祖神について、また戦前の民俗行事等についての説明を知りたい方々は、上記画像を拡大して読んでくださいな。

JR早川駅

次回はいざ伊豆国へ☆

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