キノミヤを追いかけて-6 三嶋大社 (1) 参道のたたり石と伊豆諸島の祟り


キノミヤを追いかけて

6 三嶋大社 (1) たたり石と三島神


伊豆國一宮であり、総社でもあった伊豆三島大明神が鎮座する三嶋大社へ♪

三島に前泊していて、起きてみたら三嶋大社の社叢全景がホテルの窓から見ることが出来た☆
しかし、先にモクモクと煙を出しているゴミ焼却所が何とも恨めしい。
さすがに、こんな文明の下で生きているのだから、文句は言えませんが・・・。

社頭

さてさて今回は旧官幣大社で且つ伊豆國一宮ということもあって、平日の朝早く参拝してみたが、殆ど人の姿はなかった・・・。

たたり石


鳥居をくぐると参道脇に大きな巨石が・・・その名も『たたり石』

此の石は大社前旧東海道の中央にあり行き交う人の流れを整理する役目を果たした『たたり(絡垜)』は本来糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語である。

後に往来頻繁になりこれを取り除こうとする度に災いがあったと言われ、絡垜が祟りに置き換えて考えられる様になったと言われている。

大正三年内務省の道路工事によって掘り出され、神社に於て此処に据えられた今日では交通安全の霊石としての信仰がある。
(案内板より抜粋)

そしてたたり石の先には、ソテツを思わせる南方系の樹木に囲まれ、離島のような作りの石座の上に『淡島神』の石碑が。

これについては、三島大明神と探訪予定だった神津島の神に深い由来があるが・・・
結局荒天で行けなかったので、ここで書いてしまおう^^


「続日本後紀」にて、承和五年(838)七月五日『上津島噴火』が述べられている。

上津島(神津島)のまわりの海中が焼失して野火のようだった。
十二人の童子があいついで炬火をとり、海に入って火をつけてまわった。

そうした状態が十日も続いたので、神主たちを集めてト占してみると、上津島に鎮座する三島神の本后『阿波神』(あわのかみ)の祟りであることが分かった。

淡島神の石碑

阿波神は五人の子供を産んでいるが、後后である伊古奈比咩命に冠位(明神大社)が授けられても、本后である自分はそれにあずからない。そこで怪異を示したのである、と神託を下した。

タタリにおそれをなした朝廷は、その二年後の承和七年十月十四日に、伊豆國での造島の霊験を理由に、三島神、伊古奈比咩の二神に加えて、それまで無位であった阿波神と物忌奈乃命の両神に位階が授けられ、地方神でありながら、中央の組織に組み込まれたという。
(以上、谷川健一著「日本の神々」より)

総門
(昭和六年竣工、旧総門は一部改修し芸能殿に再建)


この四柱の神のほか、嘉洋三年(850)から仁和二年(886)の間に、阿米都和気命(三宅島)、伊太氐和気命(御蔵島)、阿豆佐和気命(利島)、佐伎多摩比咩命(三宅島)、波布比売命(大島)、多祁美加々命(新島)の六神が叙位にあずかった。

恐るべし、本后~阿波神の嫉妬と祟り。

だから、淡島神(阿波神)の石碑前に『たたり石』を置いたのか?


と勝手な推測でした。

神門
(慶應三年(1867)八月十日竣功の歴史ある門)

御祭神
大山祇命 (おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)

二柱の神を総称して三嶋大明神と称す。
尚、阿波神 伊古奈比咩命 楊原神が配祀されている。

社殿

御由緒

御創建の時は不明であるが、古くより三島の地に御鎮座し、三嶋大明神と称せられ、富士火山帯の根元の神、伊豆の国魂の神、国土開発の神としての信仰は古 く、天武天皇十三年(685~日本書紀)、淳和天皇天長九年(832~釋日本紀)、仁命天皇承和七年(840~續日本後紀)、宇多天皇仁和三年(887~ 扶桑略紀)等に大明神の造島の事が見え、仁命天皇嘉祥三年(850~文徳実録)以下、その位階は累進し、延喜の制においては明神大社に列し、月次(つきな み)、新嘗の官幣に預り、祭料稲二千束を寄せられた。

中世以降、武士の崇敬極めて篤く、殊に永暦元年伊豆に流された源頼朝は深く当社を崇敬し、雌伏二十年、治承四年(1180)八月十七日、当社御例祭の夜、 御神助を得て、山木判官平兼隆を討ち、旗挙げに成功し、神預を寄せますます崇敬するところなり、以来武門武将の尊崇篤くこれらの奉納品多数を所蔵してい る。

又、東海道に面し、下田街道の起点に位する交通の要衝に当り、三嶋大明神の称は広く天下に広まっていった。
尚、明治四年には社格が制定され、官幣大社に列せられた。
(以上、三嶋大社略誌より)

本殿

御社殿は嘉永七年十一月四日、東海大地震により、社殿工作物悉く(ことごとく)倒潰した。時の神主矢田部式部盛治は、直ちに寺社奉行に届けると共に、その 復旧に着手。

舞殿

先ず社頭に御影石の大鳥居を建設し、続いて本殿、幣殿、拝殿以下、舞殿、神門、総門、摂末社、その他附属建物及び工作物等、現在に見る壮大 な社殿群を十年の歳月費やして完成した。

その後、大正十二年の関東大震災、昭和五年の伊豆震災の復旧工事と平成二年御大礼を記念し補修工事が行われた。

芸能殿

安政の東海大地震の復旧工事で、時の神主矢田部式部盛治により慶應四年二月十一日に完成した旧総門で、昭和五年の伊豆大震災後、現在の総門が落成したため、戦後再建し一部改造の上、芸能殿として保存している。

通路の脇に『手をふれないで下さい』と書かれた意味深な桶。
いったいどのような意味があるのだろう?
御存じの方は教えて下さい☆


次回は摂末社と『三宅記』での古代神話について☆

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