27 June 2011

相模路をゆく -10 鎌倉宮 境内と由緒、そして獅子頭守

Location 日本, 神奈川県鎌倉市二階堂
相模路をゆく
10 鎌倉宮 (1)

(神奈川県鎌倉市二階堂154御鎮座)



続いて参拝しに訪れたのは鎌倉宮。

鶴岡八幡宮から北東へ徒歩15分程歩いた地に鎮座している。

そしてようやく鎌倉宮へ到着。
笠木のみが朱色という珍しい鳥居が印象的。

緑深く、落ち着いた雰囲気。
このような趣きある神社に参拝できると、とても気分が良くなる。

さて、鎌倉宮は別名大塔宮と呼ばれ、建武中興十五社の一社である。

建武中興十五社とは、建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社で、武家中心の社会を天皇中心の社会に戻そうとしたものであった点が、明治維新と類似しており、天皇親政に尽力された皇族をお祀りすべきという勅令のもと、明治天皇が創設した。

拝殿
また鎌倉宮は 神社本庁の包括下には入っていない単立神社である。
神社本庁は、1946年、全国の神社関係者が結集して伊勢神宮を本宗とする包括宗教法人で、各都道府県に神社庁を置き、神道の宣布にあたっている。
しかし、伊勢式年遷宮の巨額の費用を奉賛金として全国傘下の神社に割り当てて強制的に課すため、自社の改修が手に回らない実像があるらしい。
また、財政健全化のために新事業を興そうとしても「異端」とみなされて、停止・改善を勧告されるらしい。

ちなみに名が知られている他の単立神社は、日光東照宮、靖国神社、武蔵御嶽神社、気多大社)、伏見稲荷大社、出雲大神宮、日前神宮・國懸神宮などがある。

拝殿
「獅子頭守」(ししがしらまもり)
鎌倉宮の創建当初からのお守りで、護良親王が兜のなかに忍ばせて地震の無事を祈ったことが由縁とされている御守り。

そんなところで御由緒を・・・

鎌倉宮は明治2年(1869)に後醍醐天皇の皇子、護良親王(もりながしんのう)を御祭神として創建された神社です。

護良親王は延慶元年(1308)にご誕生になり、6歳の時、京都にある三千院に入られ、11歳で比叡山延暦寺に入室されました。尊雲法親王と呼ばれ、大塔宮とも呼ばれました。
20歳の時、天台宗の最高位である天台座主となられますが、父帝の後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の思いを遂げる為、還俗して名を護良と改め、戦いへと向かわれました。

本殿
鎌倉幕府が倒幕され、天皇親政が復活(建武の新政)すると、親王はその功績を認められ兵部卿・征夷大将軍の役職につかれます。

しかし、武家政権の樹立を目指す足利高氏との間で確執がおこり、親王は足利方によって捕らえられ、鎌倉東光寺の土牢に送られ、およそ9ヶ月間幽閉されました。建武二年(1357)7月23日、中先代の乱に敗れた足利直義は、家来の淵辺義博に命じ、親王を殺めてしまいます。28歳という若さでの薨去でした。

それから534年後、明治維新を成し遂げた明治天皇は、平和な世の中を望まれた護良親王の精神を後世の人々に伝える為、鎌倉宮の創建を命じた。
(*当宮では足利尊氏は高氏として記している)

静かに祀られているシンボルマークの獅子頭守。
妙にシュールな佇まいである。


次回は、拝観してみました♪の巻です☆

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