キノミヤを追いかけて-16 石廊崎、そして役小角のおはなし


キノミヤを追いかけて
16 石廊崎と役小角

伊豆の南端、石廊崎へいざドライブ・・・と思ったが、突如腹痛に襲われた。
何とか山道を抜けて、海沿いのドライブ・インに車を置いて用を足すことができた。

少し景色を見ようとしたら、とても美しい風景が広がっていた。


あの島の緑色の水はいったいなんだろ?

そんなこんなで石廊崎に到着☆

駐車料金500円を徴収されて、目指すは南端の磐に飲み込まれたような神社「石廊神社」

ちなみに、この漁港には数多くの横穴が掘られている。

太平洋戦争時の本土決戦いおける最終防波堤として伊豆が設定されていたため、数多くの戦争の遺構を見つけることができる。

そして、此の地は「役小角」の流刑地であったという話でも有名である。

役の行者 (隠名 阿摩陀之摩綺~あまだのまき)

1.役の行者の生立

役の行者は天智天皇の六年に大和国葛木上郡茅原村に生まれ、頭の上に小さな角が生えていたので役の小角と呼ばれ神童と称せられた。

この小角が成長して葛木山に入り、外従五位の韓国連広足を師と仰ぎ、山伏と仏法の修行して奥義を極め、孔雀の呪術を習得し天晴一代の智者と召された。

のちに韓国連広足は小角の超人的な妖術をおそれて、妖術で人を惑わし葛木の一言主大神と結んで天皇を傾けようとしたと懺悔され伊豆に配流された。

白濱神社に咲いていたアロエ

2.役の行者之当地に残る業績

病名不詳なるも西暦七百年慶雲三年に諸国に疫病流行して百姓多く死すと在るから見て石室の里も御他聞にもれず、其の襲来を受けたものと思われ、二期数年天候悪く大荒れに荒狂い、舟を出す事も不可能にして、併せて磯の海苔・貝類も不運が続き狭き耕地の作物は寒害・暴風とたて続けての天災に全滅し里人は餓えと不安に苦しみ、又病気蔓延し、其の為自呆自捨と成り、心迄も荒廃し喧嘩・口論絶えず。

此の時、阿摩陀之窪にて施行の中在りし行者は、此れを憂い石室権現を始萬の神霊に祈りを捧げ神沸の加護を身を滅ぼして願い続けた。或る夜大慈の霊(十一面観世音)夢に立ち一枚の薬草を行者に授けた。

行者は、此れこそ御沸の御教えであると早急山野を走り回りその薬草を探し出し病人にあたえると忽ち病気平穏した。此の一業こそ今以て不思議なる効力を持つ薬草として伝え使用されているアロエであり、別名を医者不要と呼ばれている。

3.神変大菩薩

わが国の歴史で、役の行者程、神通力自在、変幻出没、修業によって霊力を得た者は他にはなく、山岳仏教の開祖といわれている。

百十九代光格天皇は寛政十一年に役の行者に贈り名して曰く(神変大菩薩)の称号を贈って其の業績を賞賛した。
頭髪を長く伸ばし笈を背負い錫杖を持ち白衣に数珠をはなさず、ほら貝を吹き呪文をとなえて南伊豆を闊歩した姿が偲ばれるのである。


・・・案内板丸写しだったので、ちとつまらなかったでしょうね^^;
いわゆる修験道の開祖といわれ、山岳信仰に大きな影響を与えた人物なのです。


次回はいざ石廊神社へ!への巻です☆

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