キノミヤを追いかけて-17 伊豆最南端の社 - 石室神社



キノミヤを追いかけて
17 石廊崎~石廊神社と熊野神社

早速石廊崎先端に向かって歩き出したら、急坂・・・。
結構足に堪えた記憶がある。
そんな山道を10分ほど超えると、閉館したテーマパークの廃墟が・・・。

廃墟好きの小生としては、そっちも覗いてみたかったがw

しばらく遊歩道を歩いていくと、石廊神社の鳥居を発見。

さらに進んでいくと、石廊崎灯台。
白亜色の灯台は何ともチャーミング☆
そこからさらに進むこと約10分・・・。

石室神社
まるで、岩に浸食されているような建物が!

そう、こちらが石室神社(石廊権現)である。

由来は下記の通りです・・・。

祭神 伊波例命
古くは伊波例命神社(いはれのみことじんじゃ)とも呼ばれていたとされ、延喜式内社であるとされている。

その起源は諸説あり、 文武天皇大宝元年(701年)に初めて堂が建てられ、最初は観音像と第六天神を安置していたが、その後役小角が神託を受けて伊波例命を祀ったという説や、「秦の始皇帝5世の孫と云われ日本に帰化した(異説もある)弓月君(ゆつきのきみ)が物忌奈之命(ものいみなのみこと)と称されるようになり、これを祀る神社として、その子孫を名乗る秦氏が建立したもの」という説もある。(物忌奈之命は神津島に祀られているのと同神であるかは定かでない)

石廊権現と千石船之由来

祭地は相模灘と遠州灘の中間に位し東風西風共に筆舌に絶し、又陰れし岩礁多く黒潮近くを走ると云ふ難所で在る。

或る期、播洲濱田港所属の塩運搬の千石船が此の岬に差し掛りし時、折悪く黒雲海面をはい、雨は篠を突き波浪は峰渓をなす。

船は最早轉覆(てんぷく)有るのみと見られ、船主船子共になす技も無く、一心に見えぬ対岸の石廊権現に向いて

「無事江戸に着く事が出来得るならば帆船の命で在る帆柱を奉納する」

と、誓願を込めると、さしも荒狂った波もやがて凪いで無事江戸に着く事が出来、荷揚げを済し巨富を得て帰途に付く。

航海日和に恵まれ往路の出来事も忘れ此の岬の沖を過ぎ様とした
だが、不思議な事に満帆に追風をはらみ全櫓充分に水をかくも船は一向に進まず坐礁した

やがて次第に風雨強く狂暴なる暴風雨と急変し、船子等の不安は往路の期に増して激しく船主は往路の期の願事に思いを致し木の葉の如く震る船上にて斧を以て、帆柱を切倒し海に投じ石廊権現に奉納された。

すると、不思議なる事に帆柱は荒れ狂う大波の波頭に乗って、幾十丈の高き社殿の御前に供えた如く打上げしと同時に波も静まり、船は櫓を以て走り去りしと傳えられて居り、今直當社殿の基礎となりて此の建築物を支えて居り當社の御神威の高きと共に、此の神技を伊豆の七不思議の代表的な神話として廣く風光名美さと共に日本 全国に知られ居る。

帆柱材質檜 長サ六間 約十二メートル
(社殿内掲示板より抜粋)

そして石廊崎の突端。
数多くの大型船が往来している。
「黒潮ハイウェイ」は今だ活躍しているのだ。

崎の突端にある祠は熊野神社。
恋愛成就に効果があるのか、近年のパワースポットと有名なのか存じないが、数多くの絵馬が掲げられ、嵐のような日にも関わらず、多くの参詣客で賑わっていた。

(御由緒)
その昔、長津呂(石廊崎)に住むお静と名主の娘が、漁師の幸吉と恋に落ちた。身分の違いからその恋は許されず、幸吉は神子元島に流された。
幸吉を忘れられないお静は、毎晩、石廊崎の先端で火を焚き、神子元島の幸吉と愛を確かめあっていた。
ある晩神子元島の火が見えないので心配したお静は、小船を出して神子元島に向かったが、折りからの季節風で波は高く船は思うままに進まなかった。

お静は一心不乱に神に祈った。

その甲斐あって神子元島に漂着し、無事二人はめぐりあい結ばれた。
親も許すこととなり、末長く幸せに暮らしたという。

お静が火を焚いたところに熊野権現の祠が祀られた。
(掲示板より)


次回はキノミヤを追いかけて(伊豆東編)最終回です☆

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