帝都の社 : 湯島天満宮 (湯島天神)


帝都の社 : 4- 湯島天満宮
(東京都文京区湯島3-30-1御鎮座)

続いては、「湯島天神さま」で知られている湯島天満宮へ。

天神石坂(天神男坂)

江戸時代の書物「御府内備考」によると、湯島天神への参拝のための坂だったが、その後本郷から上野広小路に抜ける通り道になったらしい。

天神石坂の脇にひっそりと鎮座されているのは、『復興地蔵尊』と呼ばれている地蔵尊。

由緒書きによると、1923年の関東大震災にて被災した方々の安寧と早期の復興を願い、三百年来火伏寺として伝統を持つ心城院の協力を得て、震災復興地蔵尊(右側)を建立した。

その後東京大空襲で隣接する被害は、殆ど焼土に見舞われたが、この町内のみ一軒の損傷もなかった。

「お地蔵さん」の御加護によるものと往時の人々の心に深く刻み込まれ、その後一体追加されて、現在も地域の守護尊として大切にされている。

社殿


参拝時は丁度「梅まつり」が開催されていて、平日にもかかわらず境内は参拝客でいっぱい!

写真の社殿は、本殿と拝殿が幣殿で結ばれている「権現造り」の建築様式で、平成七年に純木造で建て替えられた。

社殿建築にあたっては紆余曲折があって、この地域は「防火地域」に指定されており、たとえ社寺建築であろうと、新たな木造建築は認められないのだが、慎重な審議・万全防火対策などを講じて、建設大臣認定第一号として木造建築が許可されたらしい。

本殿

さらに歴史を遡ると、旧社殿は土蔵造りだったが、江戸幕府が頻繁に起こる火災のため、「焼け跡に建てる家はすべて塗家土蔵造り、瓦屋根にせよ」という防火対策を引き継ぎ、明治十八年に立て替えたものだったらしい。

・・・都心で寺社建築するのも大変なのですね。

狛犬


狛犬が『阿~っ!』と叫んでいるところで御由緒を!?

祭神: 天之手力雄命、菅原道真公

湯島天満宮(湯島天神)は、雄略天皇二年(458)一月勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのが始まりである。降って天平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉斎した。

撫で牛


文明十年(1478)十月太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るにおよび、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷の内五石の朱印地を寄進。
その後、将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。

明治五年(1871)十月には郷社に列し、ついで同十八年府社に昇格した。
明治維新前は、上の東叡山寛永寺は別当を兼ね、喜見院がその職にあたった時期があった。
元禄十六年(1703)の火災で全焼した際、宝永元年(1704)将軍綱吉公は、金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、総檜造りで造営された。

(以上、御由緒より)

ここ湯島天神は、江戸時代「富突」という現代でいうところの幕府公認の宝くじ発売所だったらしい。
谷中感応寺、目黒不動とともに「江戸三富」と称されていて、境内は熱狂した群衆で賑わったらしい。
さらに売薬香具の見世・楊弓場があり、宮芝居も多く行われていたりと、江戸町人の憩いの場だったようだ。

そういえば参拝した時期は「受験シーズン」でもあったので、天神様にあやかって境内を埋め尽くさんばかりの絵馬が並べられていた。
ちなみに絵馬発祥の地は、京都・貴船神社です。


北側にある夫婦坂を降って、参拝終了。

次回もまだまだ首都の社は続きます♪

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