帝都の社 : 白山神社


帝都の社 : 5- 白山神社
(東京都文京区白山5丁目31-26御鎮座)

社頭
白山は何度か立ち寄った町ではあるが、具体的に何をしてたか覚えていない・・・。
しかし、准勅祭社(東京十社)に比定されている白山神社があるので参拝した。

ちなみに白山の近所である小石川へは幼少時代に父に何度も連れて行ってもらっていた。
休日出勤する父の職場見学、そして立ち飲みの酒屋へ (^o^)

父は印刷会社に勤務していて、仕事っぷりを見る度に

「かっこいいな」

と、憧れに近い尊敬の念をもっていた。
そして仕事帰りは必ず酒屋で決まって日本酒を一杯ひっかけていた。

・・・仮にボクに子供がいて、ボクの仕事っぷりを見せたらどう思われるのだろう?

社殿

父は必ずボクに・・・

『お母さんにはナイショだぞ!』

と、ボクにファンタ・オレンジを買ってくれながら、バツの悪そうな顔でお願いしていた。

まだ後楽園球場があった昭和時代の思い出。
そんな父はもうすぐ80歳です。

・・・おっと、ノスタルジーに浸ってしまった。

扁額

そんなところで御由緒を・・・

白山神社由緒

祭神 菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冉命
例大祭日 九月二十一日

当社人皇六十二代村上天皇天暦二年(948)九月加賀一宮白山神社を武蔵國豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。

建武四年(1338)足利尊氏公により国家平安御祈願所に命ぜ永百貫文之御判物を賜る。

元和二年(1616)徳川秀忠公の命により小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安四年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現社地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍綱吉とその母桂昌院の信仰を受けらる。

本殿

元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文六年(1677)九月二十九日祭礼は賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。

元禄三年(1690)正月二十九日旧幕府より社領三十石寄附之あり。右朱印元禄六年(1693)九月二十九日戸田能登守相渡さる。

元禄十六年(1703)十一月二十九日、小石川辺りより出火。本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで類焼し、宝永元年(1704)六月十四日、加藤越中守掛にて仮殿手当として金五百両五千挺寄附あり。

日向ぼっこしながら
私に「ベー」としている猫ちゃん

再建するも享保三年(1719)三月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治三十二年拝殿建設、昭和八年改修し、同九年九月十八日盛大に正遷座大祭を施行す。

(なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり)

当社は明治元年勅祭神社に準じられ(准勅祭神社)東京十社の一つである。
(石碑より)


次回も続く帝都の社♪

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