26 May 2011

帝都の社 : 赤坂氷川神社

Location 日本, 東京都港区赤坂6丁目10

帝都の社
7- 赤坂氷川神社
(東京都港区赤坂6-10-12御鎮座)


下谷神社のお次は赤坂氷川神社へ~♪

赤坂通りを西に歩いて、少し入り組んだ道を入っていくと、鬱蒼とした森が広がってきた。
メイン・ストリートの喧騒がウソのように静かです。

社頭

この辺で御由緒を

祭神: 素盞鳴尊、奇稲田姫命、大己貴命

起源: 創立の起源は、古い書物によると、天歴五年(村上天皇・951年)武州豊島郡人次ヶ原(俗称・・・古呂故ヶ岡 赤坂四丁目一ツ木台地)に祀られた。これによりおよそ百年後の治歴二年(後冷泉天皇 1066年)、関東に大干ばつが発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。

男坂

江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍徳川吉宗公が享保元年(1716)将軍職を継ぐに至り、同十四年(1729)に老中岡崎城主水の忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌十五年(1730)四月二十六日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、二十八日に将軍直々の御参拝がありました。

震災で倒壊した石燈籠


以後十四代家茂公まで歴代の朱印状は下附され、より一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。
大正以前は山車十三台で御用祭が行われました。

(参拝のしおりより)

楼門
ここは楼門。
実は参拝時に結婚式が執り行われていて、少し慌ただしい様子。
最近、神社での神前結婚式が多くなったな、と思いますね♪

社殿

こじんまりとしているが、木々に囲まれていて本当に静か。
高層ビルに囲まれて息苦しい今の職場でなく、可能であればこの辺で働きたい^^

尚、『新撰東京名所図会』(明治22年)には赤坂氷川神社について以下のように書かれている。

「氷川神社は、氷川町52番地に鎮座せる府社にして、赤坂区第1の鎮守社たり。同町中央窪地より西に向い、甃石を踏みて進めば、高燥の丘あり、是れ即ち神苑なり。麓に花崗石のたまがきいかめしく、右に四合稲荷の小祠あり。

石段に上らむとする所、左右2基の石灯籠を据えたり、享保9年閏4月氏子の奉納せるもの、又石階33級を尽くせば、此所にも甃石を敷列べ石狛犬左右に蹲居せり、45歩を移せば花崗石の鳥居、屹として聳え、氷川大明神の5字せり。

尚、鍵の手形の甃石を右に進み、鳥居を潜り左に水屋を見て中門を入れば、社前に達するを得べし。

太鼓橋


拝殿は、銅瓦葺、障泥博風、桝組、向拝付勾欄造、惣朱塗上蔀なり、本殿、幣殿其の後に在り青簾半ば巻きて、神鏡長えに輝き、神霊灼に畏し、賽客をして思わず頭を垂れしむ。」
(『港区の文化財・第13集』より」)

九神社


天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社、以上の九社を合祀したお社。

西行稲荷神社


境内社。
享保の時代、田町5丁目(現在の赤坂3丁目付近)に西行五兵衛というものがおり、榎坂を通行中に狐の形をした三寸程の稲荷のご神体らしい像を拾い、勧請したため、「西行稲荷」とした。
町の発展に伴い、大正10年氷川神社境内に遷宮。
別名「火伏の稲荷」ともいわれ、火災除のご利益があるといわれている。

四合稲荷神社
御祭神: 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

1.古呂故(ころこ)稲荷 : 赤坂一ツ木二番地、古呂故天神社境内に鎮座
2.地頭(じぬし)稲荷 : 氷川神社遷座以前より拠の地に鎮座
3.本(もと)氷川稲荷 : 本氷川神社隣接、別当盛徳寺の地内に鎮座
4.玉川(たまがわ)稲荷 : 赤坂門外の御堀端、現弁慶橋のあたりに鎮座

以上の四社を明治31年遷座合祀し、幕末より赤坂在住の勝海舟により、『四合(しあわせ)稲荷』と称えられた。

大正14年に、鈴降(すずふり)稲荷神社(赤坂一ツ木町に鎮座)、及び縁起(えんぎ)稲荷神社(赤坂丹後坂下に鎮座)の二社を、 また昭和9年に明徳(めいとく)稲荷神社(赤坂新町に鎮座)を遷座合祀し、現在に至っている。

勝海舟筆の「四合稲荷社」という扁額も現存しているとのこと。

以上、都心のど真ん中にある心落ち着くお社でした。


とても心地良い気分で、赤坂通りを歩いていると、こんな看板が・・・。
ベンチャーズか加山雄三時代のエレキサウンドのみ受け付けなのかな??

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