相模路をゆく -10 鎌倉宮 護良親王~岩窟内の土牢と草鹿式神事

相模路をゆく
鎌倉宮 (2) 護良親王が幽閉された地



さて、後醍醐天皇の建武の新政といえば、古典「太平記」が有名だが、護良親王については由緒で書いた前号以外にも興味深い話があるようなので、勉強がてら綴ってみます。

護良親王は足利尊氏のみならず、
父・後醍醐天皇との確執があったらしい。
討幕戦争の際に討幕の命令を出した天皇を差し置いて
令旨を発したことに始まると言われている。

また後醍醐天皇の寵妃であった阿野廉子とも不仲で、
親王暗殺は廉子と尊氏が結託していたという。

伝承では鎌倉の土牢で護良親王が殺害されたおり、
雛鶴姫という寵姫が護良親王の御首級を携え、
甲斐国都留郡秋山村まで逃げ延びて息絶えた。

その御首級は石船神社に安置されていて、
年に一度「御首級」が公開されているらしい

土牢
この窟は護良親王が幽閉されていた牢で、
実際は東光寺跡にあったのを復元した

尚、雛鶴姫は護良親王の子を宿しており、
上洛の道中、甲斐國秋山村で子を出産したものの
産後の肥立ちが悪く他界されたという

護良親王御土牢
二段岩窟
建武元年十一月より翌二年七月二十三日迄、
約九が月の間ここに御幽居し給ふ。
(今より六百四十三年前・・・昭和五十三年)
薨去の御年 二十八
深さ 約四メートル
廣さ 八畳敷(四メートル四方)

(境内掲示板より)

その後、村人たちによって
淵沢に墓碑塚を築かれ、
現在は雛鶴姫を祀った
雛鶴神社が鎮座しているとのこと。

御構廊(御首塚)
ここは護良親王の首級が
置かれたとされる場所。

御墓はこの所より250メートル程いった
山頂理智光寺跡にある。

伝承では雛鶴姫が産んだ皇子は小大塔宮・綴連皇子と呼ばれおり、
南朝方として各地を転戦しますが、後に敗れて衰退し、
転々と放浪した折に秋山村に辿り着き、
そこで天寿を全うしたという

何たる因縁なのだろう。

三宇峯神社
福島県須賀川市鎮座
三宇御祭神
守永親王(右側の石)
後村上天皇(中央)
後亀山天皇(左側の石)

宇津峯山宇津峯城(星城)は
陸奥國に於ける南朝方の一大拠点で
鎮守将軍北畠信卿が次男守親卿と共に
後醍醐天皇の皇孫守永親王に奉して
興国元年から正年八年まで一三年間に亘り勤皇家に号令を発し
且つ戦はれた遺蹟である。

この神石は六百年昔の歴史を
今に物語る城跡の山岩として意義深い。

宇津峯山の偉容は歴史の歩みと共に
鎌倉宮にと移られ給ふの感有り。
(境内掲示板より)

阿野廉子の謀略により、父子の確執が深まったのは確かだが、
悪名高い廉子も生涯、
後醍醐天皇から離れずに寄り添っていた
まるで雛鶴姫のように。

いずれにせよ、悲運な人生だったのですね。。。

ドロドロとした歴史とは裏腹に
木々の葉は新緑が鮮やかで、気持ち良い空間

もし鬱蒼とした気分になったら、
社務所出口傍にある盃割り舎内にある
厄割り石で盃を割ってリフレッシュ!?

草鹿式
ちなみに参拝日は5月5日。
境内は草鹿式という神事の準備で大忙し。

「草鹿」の起源は、建久五年(1194)に
源頼朝が催した「富士裾野の巻狩り」といわれている。
草を束ねて鹿の形にして、それを射る訓練をさせたことが、
いまでも「草鹿神事」として残っている。

ちなみに現在は鹿のぬいぐるみが的です♪


次回はいざ湘南!

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