11 June 2011

相模路をゆく -1 深見神社と「厚木空神社」


相模路をゆく
1 深見神社
(神奈川県大和市深見3367御鎮座)


大山詣でだけでなく、主に小田急線沿線の式内社を中心に巡っておりました☆
一社目は大和市内にある古社・深見神社から。

鳥居

大和駅から歩くこと10分程度。丘陵東南端に位置し、低地は坊ノ窪と呼ばれている。
深見という地名は、平安時代には文献にあらわれる古くからの地名で、古代にはこの地まで海が深く入り込んでいた入江であったことから由来している。

尚、平安時代の百科事典「和名類聚抄」には、相模國高座郡(たかくら)十四郷の一つとして「深見郷」とあるらしい。

そして深見神社は、平安時代の延喜式神名帳(927)に記載された相模國の延喜式内社十三座のひとつである。

社殿

御由緒

御祭神 武甕槌神、建御名方神

例祭 九月十五日

当神社の創始は古く総国風土記によれば、約千五百年前雄略天皇二十二年三月創祭とあり朝廷より奉幣の事が記されてある。当時朝野遠近の崇敬篤く著名の社であった事が知られる。

其の後桓武天皇の五月を始め歴代国司より奉幣の事があり、更に醍醐天皇の御代に制定された延喜式神明帳に相模國十三座の社と定められ官社として扱われ国幣を奉られた。
毎年二月の新年祭(としこしさい)には神衹官の奉幣が奉られ、この地方士民信仰の中心をなしていた。


後に源頼朝小田原北條、武田信玄を始め渋谷庄司重国太田道灌等の信仰も特に篤く、徳川時代に至っては旗本坂本小左衛門重安寺社奉行坂本内記重治は屡々(しば)参詣し社殿造営のこと亦社領寄進等古来武門武将の崇敬は鄭重をきわめるものがあった。

本殿

明治六年十二月太政官布告により郷社に列せられたるも同九年隣地沸導寺の火災に類焼し荘厳なる社殿工作物悉く焼失した。
明治四十二年村内諏訪社を合祀し諏訪社の祭神は当社の相殿となった。

昭和十六年十一月当社殿が再建されたるも、昭和二十年十二月神道指令により神社の国家管理が廃止され現在は神社本庁に属しこの地方付近の崇敬者より御神徳を敬仰されている。
(以上、境内御由緒より)

境内社 靖国社


境内社は靖国社と稲荷社の二社がある。
そのうちこの靖国社は、合祀前は「厚木空神社」と言われ、厚木基地内にあった。

『第302海軍航空隊は、昭和19年4月勇将小園安名司令のもと、厚木基地に「雷電」「零戦」「彗星」「月光」「銀河」の精鋭機を擁し、本土防衛部隊として編成された。
同年11月、B-29来襲に始まる防衛戦闘において、302空は勇戦奮闘。昼夜を分かたず来襲する米空軍を迎え撃って B-29、P-51、F6F等多数の米軍機を撃墜破する戦果を挙げ、小園部隊の勇名を天下に轟かせた。

又終戦時、徹底抗戦を叫び、世に言う厚木事件を起こした部隊としても知られている。
終戦に至るまでの戦闘において、数多くの隊員を失ったが、戦没者は海軍葬をもって、基地内の厚木空神社の祀られた。
終戦後、同神社の神殿は大和市深見神社の境内に奉遷され、地元出身戦没者の英霊を合祀して靖國社となり、今日に及んでいる。
戦没者の霊を慰め、302空の名を永く留めるため、この地に之を建てる』
(石碑案内より)

そんな深い歴史を持った式内社、深見神社。
境内も美しかったでした♪

御神木

最後に、この木は「ハルニレ」の巨木で、天然記念物に指定されている。
樹高30m目通4mの大木で、推定樹齢400年とのことです。


次回は海老名市街の式内社です♪

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