相模路をゆく -2 関東総鎮護 大山阿夫利神社下社


大山阿夫利神社 下社


女坂を登拝して、大山阿夫利神社下社へ到着。
汗を流して参拝に来たのだから、きっと何らかの御利益があるに違いない♪

参道

大山阿夫利神社 
御祭神
大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)
高龗神 (たかおかみのかみ)
大雷神 (おおいかづちのかみ)

大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起ったといわれる。また古名は大福山と呼ばれていた。

標高1253メートルの山頂に本社があり、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。

社殿

御鎮座、神社創立は今から2200余年以前の人皇崇神天皇の御代と伝えられ、延喜式神名帳に登載されており、式内社である。
天平勝宝四年(752年)に良辯大僧正が入山して漸く不動堂建立以来の時運は神仏習合の機熟し、堂塔僧坊を建て、霊石の由縁を以て石尊大権現と称し奉り、一山挙げて雨降山大山寺と号した。

以来数百年の間、神職・修験・僧侶等混淆して、奉務したが、時には聖武天皇の勅願所となり、房相総3カ国の租税を以て一山の費用に充てその報賽を怠らなかったのであり然るに元慶三年大地震があって、神火に遭い、一山悉く鳥有と帰したこの時鎌倉の僧願行上人がこられて鋭意再興を計られた。

末社

元暦元年九月源頼朝は幕府所在国の霊社として特に社嶺を寄せて尊信し、徳川氏に至り、社領157石を寄進せられた、殊に三代将軍家光公は18万両の巨費を献じて、本社以下摂末社を改築し、崇厳を極め、一山実に12坊、8大坊をして菅領せしめた。

境内より参道を眺める

しかし、安政年間の大火により、全山灰燼に帰し、昔の盛観全くなくなったが、明治元年に至り神仏混淆が廃され、同年十月鎮守命によって、石尊大権現ならびに大山寺の称を廃して阿夫利神社の旧号に復して現在に至る。

阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、国御岳(国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。
山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。

(以上、御由緒及び案内板より)

無事かえるの像

ここで小休止。
鳥居前には「無事かえる」の像が社殿に向かって安置されている。
「ゲロゲ~ロ!」


無事かえるの後ろ姿

後姿が妙にシュールな感じで何とも言えない(笑)
まだ新しく作られたようだが、年月を経て味わい深い登山道中の守護神となってもらいたいものだ。

境内

下社に到着した時は、まだケーブルカー運行前。
よって、登山客以外は誰もいない時間帯であった。

朝日を浴びた静かな境内はとても心を凛とさせてくれる。

下社から見た展望。
江ノ島、三浦半島、そして東京湾、房総半島まで一望できる。

昔の船乗り達は、大山を灯台代わりの目印として航海していたというのが、良く理解できる。


次回も「大山詣」です♪

Comments

  1. Your blog is simply amazing, your photos are beautiful - as are the places you visit.

    ReplyDelete
  2. Hi! Scott. Thanks for your comment:) I'd like to translate this blog into English...but having no time!
    Anyway, there are many beautiful sceneries in Japan. Please come and see!

    ReplyDelete

Post a Comment

Popular posts from this blog

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社