相模路をゆく -5 山麓に漂着した社~加羅古神社



加羅古神社
(神奈川県秦野市横野宮ノ子608御鎮座)


酒匂川で水遊びしたあと、向かったのが秦野の麓に鎮座されている加羅古神社。
「キノミヤ」の旅をして興味を持った名を持つ社だったので参拝してみた。

秦野駅からバスに揺られて数十分、さらにバス停から坂道を10分強ほど歩いた場所に鎮座している。

社頭

さてここ相模には、高来神社という神社が大磯に鎮座されている。
大磯には高麗山の地名が残り、また高来神社の下の宮には、武蔵國高麗郡にある高麗神社の首長であった高麗王若光を祀っている。

社殿

夏の例大祭で、船子たちが唱える祝詞の一部に・・・

「俄かに海上騒がしく、浦の者共怪しみて、遙かに沖を見てあれば、唐船急ぎ八の帆を上げ・・・かの船の中よりも、翁一人立ち出でて、櫓(やぐら)に登り声をあげ、汝らそれにてよく聞けよ、われは日本の者にあらず、諸越(もろこし・・・唐土)の高麗国の守護なるが、邪慳な国を逃れ来て、大日本に志し、汝等帰依するものなれば、大磯浦の守護となり、子孫繫昌を守るべし」とある。
(谷川健一著 「日本の神々」より)

扁額

話が少し逸れたが、西からここ相模國・大磯へ海上ルート(黒潮ハイウェイ)を経由して、渡来人が伊豆~相模に漂着して国造りをしたと考えるのが妥当であり、ここ秦野、そして武蔵國まで進出したのだろう。

加羅古神社の伝承に・・・

「むかし、毎夜山に光るものが現れ、不思議に思った村人が登ってみると、突然空に御神燈が光り、次に奥の山上に、また奥の山上にと光輝き竜馬に乗った神童が現れ神像を渡し祀るようにと云い、村人は最初に燈った山麓に加羅古神社を建立したという。」

という話が残っているのであるのだから、ここ加羅古神社もいわゆる『キノミヤ』の一つなのかな?と妄想してみる。

「加羅古(からこ)」という社名も漢字書きにすれば『唐子』とも『辛子』とも読めるし・・・。

本殿
ということで、御由緒を・・・

加羅古神社
秦野市横野宮ノ子六〇八
祭神 事代主命
恵比寿様として親しまれ生業弥栄・子孫繁栄・健康極寿・平和・幸福の神

由緒

神社明細書によると、寿永二年の創建で、霊験顕著で克く病を救い四民の信仰を得ていたと伝り、明応年中、北条早雲 当社の由来を聴き社殿建立の願主となり、崇敬の途を啓く、また天正十九年十一月将軍相模国仲原に御鷹野の新御殿へ神足を召され当社の由来を聴き朱印地一石を寄進され代々書き替えを行なわれ明治維新に及ぶ。
大正六年幣帛料供進の指定社に列せられて、昭和二十一年八月宗教法人令により宗教法人となる。
付記
当社は市内における古社の一つで、古くは唐子明神と称し、由緒や縁起について口伝や文書があって文人の「夢多く、ゆめ膨らむ」関心の強い社である。

(以上、神社掲示板より)

神社の端には道祖神像などが祀ってあった。
手を合わせて一礼した後、伊勢原へ向かう。

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