相模路をゆく -7 「伊勢原」地名の語源~伊勢原大神宮


相模路をゆく
7 伊勢原大神宮

(神奈川県伊勢原市伊勢原3-8-1御鎮座)


続いては伊勢原市中心部にある伊勢原大神宮へ。

社頭

また大山詣での後だったので、少しお休みしたいな、と思い立ち寄った。
左手の朱色の鳥居のある社は、稲荷総社。
その他境内には末社として春日神社が鎮座されている。

境内

とても開放感のある境内。
二社の中央にある御神木がとても立派です。

ご祭神
内宮 天照大御神
外宮 豊受姫大神

由緒

当宮の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615~1624)のことであると伝えられています。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時この辺りを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。

内宮

そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。
曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにしました。
こうして創建された当宮お御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。

外宮

伊勢の神宮では、天照大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に。それぞれ奉祭されています。
当宮もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。

全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられております。当宮社境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお参りすることができます。

(以上、御由緒より)

ちなみに参拝の順序は外宮⇒内宮の順となっておりますので、お間違えなきよう^^

尚、創建と同じ頃、境内に照見山神宮寺という普化禅宗のお寺があった。

普化宗は中国(唐)の普化禅師を祖として、鎌倉時代に禅僧と共に渡来したと言われ、尺八の音と結びついて広まった。

普化宗の僧は『虚無僧』と呼ばれ、江戸時代に入ると徳川幕府の庇護もあって武士が入門し全国へ広まったものの、明治四年太政官布告により廃宗となり、神宮寺は廃寺となったとのこと。

「ひとりよりふたり、ひとつよりふたつ」

このシンボルマークは当宮の内宮と外宮を表現したものらしい。
神社より頂いたしおりには紫地にこのマークが描かれている。

朱色の腰掛が良い雰囲気。
大山詣での後に立ち寄ったので、少し心が落ち着きました~。


次回は、相模国三之宮へ☆

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