相模路をゆく -12 江島神社 辺津宮 (下の宮)

相模路をゆく
12 江島神社 辺津宮

(神奈川県藤沢市江ノ島御鎮座)

鎌倉を離れ、江ノ電に乗って江ノ島へ。
まるで学生のような王道観光ルート。

江ノ島

江ノ電に揺られること、約20分程で江ノ島へ到着。
途中鎌倉大仏がある駅までは大混雑だったが、それ以降はゆったり「江ノ電の旅」をエンジョイできた。

参拝時期がゴールデン・ウィークのど真ん中。
多くの観光客で島内はごった返していて、小生疲れ気味・・・。

江島神社鳥居
島の入口にも銅製一の鳥居があったが、人だらけだったので掲載できません。
まあ、ここが江島神社の入口ということで・・・。

実はこんなに人だらけだったのです・・・。
小生かなりイライラ気味・・・><

そんな感じで御由緒を

江島神社
神奈川県藤沢市江ノ島御鎮座

ご祭神
奥津宮 多紀理比賣命
中津宮 市寸島比賣命
辺津宮 田寸津比賣命

御祭神は福岡の宗像大社や広島の厳島神社と御同神である。
天照大神が素戔嗚命と誓約をされた時に生まれました神である。
この三女神は、江島大神と称し、海運、漁業、交通の守護神とされ、古くは江島明神と呼ばれていたが、その後仏教との習合によって弁財天女とされ、江島弁財天として信仰されるに至った。

瑞心門
竜宮城に模して造営された御神門で、その両袖には鮮やかな色彩にて唐獅子画や牡丹の天井画が描かれている。

由緒
昔、御窟を本宮と言い、奥津宮を御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と言った。社伝によると、欽明天皇十三年(552)「欽明天皇の御宇、神宣により詔して宮を島南の竜穴に建てられ一歳二度の祭祀この時に始まる」とあり、祀られてきた。

辺津宮
土御門天皇建永元年(1206)源實朝が創建。
祭神は田寸津比賣命。
延賣三年(1675)再建。
昭和51年大改修された。権現造りの建築様式。

茅の輪が社前にあり、長蛇の行列が出来ていた・・・5月の訪問なのに(汗)

文武天皇四年(700)役小角という修験者がこの御窟に参籠して神感を受け、その後秦澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が次々行を練り高い御神徳を仰いだと伝えられる。
その後仏教との習合によって金亀山与願寺と号し、源頼朝は鳥居を奉納し、北条時政は参籠して奇瑞を蒙り、龍の三つ鱗を授けられ、それを家紋とした。


また後宇多天皇は蒙古軍と撃ち退けた御礼として江島大明神の勅額を奉納されるなど朝廷及び武将を始め庶民の信仰も篤く、江戸時代には江島弁財天への信仰が集まり江ノ島詣の人々で大変な賑わいを見せた。

明治初年の神仏分離令によって仏式を全廃して純神道に復し、改めて江島神社と号し現在に至る。

 左:稲荷社 秋葉社 右:八坂神社

末社のご紹介
まずは八坂神社で、御祭神は建速須佐之男命。
江戸時代には天王社として祀られ、弘化元年(1488)再建。
明治六年八坂神社と改称。

御神体は命の御木像である。
昔対岸の腰掛けに祀られていた社が大波で流され御窟前の海中に沈んでいた御神体を漁師が拾い上げて此処に祀った。

稲荷社 秋葉社
御祭神: 豊宇気毘賣命、火之迦具土神
秋葉稲荷・与三郎稲荷・漁護稲荷など島内の随所に祀ってあった小祀を合祀した社である。

次回は中津宮、そして奥津宮と江島弁財天と五龍のおはなしです♪

Comments

Popular posts from this blog

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社