相模路をゆく -13 箱根神社 里宮

相模路をゆく
13 箱根神社 里宮

(神奈川県箱根町元箱根80-1御鎮座)

箱根といえば、箱根大権現の箱根神社。
お社近くの「山のホテル」に宿泊して、早朝参拝しに参った。

平和鳥居と塔ヶ島
箱根神社(芦ノ湖)といえば、平和鳥居。
他にも九頭龍神社の朱鳥居も浮かんでいる。

鳥居の先に見える島は、通称「塔ヶ島」。
明治時代以降は函根離宮として皇族の避暑地となっていたが、大正12年の関東大震災・昭和5年の北伊豆地震と続いた災害によって倒壊してしまった。
現在は県立恩賜箱根公園となっている。

第四鳥居
平和鳥居から続く正参道を歩いていくと第四鳥居が現れてくる。
神域に入った感が強まる。

正参道
木々に囲まれた約90段の石段を登る。
杉などの大木に囲まれた静寂とした参道は、マイナスイオンたっぷりで心が癒された。

そして朝早く来たので、参道には殆ど誰もいない・・・^^
これも御神徳ってヤツですかな?

第五鳥居
この石段を登り切れば、境内が広がっていく。

箱根神社御由緒

箱根神社
御祭神 箱根大神
(瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、木花咲耶姫命の三柱)

由緒
箱根神社は古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。
当社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。


奈良朝の初期(約1300年前)萬巻上人は、御神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、佛教とりわけ修験道と習合しました。平安期初期、箱根路が開通しますと、往来の旅人は当社に道中安全を祈りました。

鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、二所詣(当社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。

社殿
近世、官道としての箱根道が整備され、箱根宿や関所が設けられますと、東西交通の要(交通安全祈願所)として当社の崇敬は益々盛んになり、庶民信仰の聖地と変貌しました。

こうして天下の険-箱根山を駕籠で往来する時代からやがて自動車に変る近代日本へと移行しますが、その明治初年には、神仏分離により関東総鎮守箱根権現は、箱根神社と改称されました。以来、明治六年の明治天皇・昭憲太后両陛下の御参拝をはじめ大正・昭和の現代に至るまで、各皇族方の御参拝は相次いで行われました。

年間二千万人を越える内外の観光客を迎えて、御社頭は増々殷賑を加えているのも、箱根大神の御神威によるものであります。
(以上、参拝の栞より)

安産杉
『この大杉は、古代山岳信仰の名残をとどめる幸運の栄木です。
遠い神代の昔、高天原から降臨された皇孫瓊瓊杵尊が、この地上で初めて出合った容色美麗な木花咲耶姫命(富士山の神様)と結婚して、日継の皇子、彦火火出見尊が誕生されたという神話に由来します。

箱根神社はこの皇祖三神をお祀りしていますが、この木は古代祭祀の象徴たる神籬(栄木)として崇められてきたものです。
これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するようになりました。

かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬しましたが、その御台所政子の安産を祈願して實朝(三代将軍)が無事誕生しました。

爾来武家や庶民の間にもこの風習が広くおこなわれるようになったといわれています。』
(以上、境内掲示板)

箱根神社には、他にも興味深い境内社がありますので、ご紹介させて頂きます。
写真は朝日を浴びた参道。

とても霊的な雰囲気が出ております♪

九頭龍神社(新宮)

ここは境内にある九頭龍神社の新宮。
九頭龍神社は、近年のパワースポット・ブームで有名らしいが、本宮はどうやら西武グループの敷地らしく、参拝するには西武グループ運営の遊覧船か、西武グループ敷地内の森林道(これも300円徴収されるらしい)と、「西武の関所」を通過しないと行けないみたいなので、行くのをやめた。

ここ箱根神社境内にも新宮が建てられているので、ここで参拝。

九頭龍神社の由来
御祭神 九頭龍大神

当神社は、湖水祭にちなんで建立された新宮である。本宮は、芦ノ湖の湖心近く御鎮座されている「九頭龍神社」である。この地に御分霊を奉遷し、鎮祭された由縁は、古くから湖水祭・庭上の儀が執り行われてきた祭場であるから、これを継承発展させるとともに、お詣りしやすいと願い建立された。

湖水祭は、奈良時代の天平宝宇元年(757)、萬巻上人が湖に棲む『九頭の毒龍』を調伏し、湖の主・龍神として鎮齎されたのに始まり、以来1243年連綿して龍神湖水の祭が継承され、執行されている。
(掲示板より一部抜粋)

龍神水(新宮)
ちなみに箱根の九頭龍伝説は以下の通りです・・・

『奈良時代、芦ノ湖が万字池と呼ばれていた頃、池には九頭の毒龍がすみついており、生贄を求めていた。
村人はその怒りを鎮めるために、屋根に「白羽の矢が立った」家の娘を泣く泣く生贄に捧げていた。(「白羽の矢が立つ」の語源)

見るに見かねた箱根神社の祖、万巻上人は、九頭の龍を湖底に沈む「逆さ杉」に縛りつけ、法力を持って調伏させ、悔い改めさせた。

改心した龍は龍神にその姿を変えたため、それを見た万巻上人は社を建て、龍神を祭り、芦ノ湖の守り神として崇められるようになったとさ・・・。』

江島縁起(江島神社)といい、走湯山縁起(伊豆山神社)といい、相模~伊豆地方には『龍伝説』が多いですね。

曽我神社
こちらは曽我物語(そがものがたり)は、鎌倉時代初期に起きた「曾我兄弟の仇討ち」を題材にした物語の主人公、曽我十郎祐成之命、曽我五郎時致之命が祀られた摂社。
ちなみに曽我兄弟のお墓は伊東・葛見神社の近くにあります。

御祭神
曽我十郎祐成之命、曽我五郎時致之命

由緒
曽我神社は元来箱根権現の稚児であった曽我五郎の霊を鎮めるため「勝名荒神」として祭祀されたが、その後箱根権現に心願成就を祈念して見事仇討本懐を遂げた曽我兄弟の孝心をたたえて、江戸初期の正保四年(1647)小田原城主稲葉美濃守正則が当地に石造りの社殿を造営し、本社を建立した。

祓戸神社
曽我兄弟の仇討話の要約は次の通り・・・

曽我兄弟(兄:5歳、弟:3歳)の幼き頃の安元二年(1176)、父が工藤祐経に討たれた。
母は兄弟の身に危険が及ぶことを恐れ相模国曽我城主と再婚し、兄は成人元服し曽我家を継ぎ、弟は箱根権現別当行実僧正の下に預けられた。

神池
文治二年(1186)、源頼朝の二所詣のため同行していた工藤祐経に弟五郎は会い、仇討を果たそうとしたが、失敗。逆に祐経から赤木柄の短刀を与えられ諭される始末であった。

箱根七福神
父の敵討ちを誓っていた曽我兄弟は建久四年(1194)五月、富士の裾野で大巻狩りの最中に、工藤祐経を襲い、祐経から与えられた短刀でとどめを刺し、本懐を成し遂げたが、兄は討ち死にし、弟は捕縛、処刑という壮絶な最後をとげた・・・。
(境内掲示板より)

駒形神社(左宮)
御祭神: 櫛都毛奴尊、豊玉比賣命、鸕鵜草葺不合尊(ウガヤキフキアエズ)、天照皇大神、神皇産霊尊、高皇産霊尊。

箱根神社は修験道と習合して栄え、霊峰駒岳の離宮権現や、八丁坂の山神社、吾妻山の吾妻社や境内の一之社護王神、二之者日枝神社等が勧請された。
この他にも神明宮や八幡宮、春日社や稲荷社、天神社等が御祭神に拂名を冠して各所に奉斎され、また芦ノ湖には豊玉姫、玉依姫、白和竜王、九頭龍王等の神々が御本社の東西南北に鎮祭されていた。

高根神社(右宮)
御祭神: 菅原道真朝臣命、乙橘姫命、大山祇命、譽田別命、天児屋根命、天太玉命、天宇受賣命、稲倉魂大神。

しかし、神仏分離により、権現号を廃して箱根神社と改称したが、この時各地にお祀りされていた諸社は統廃合され、その寄宮として当地に合祀された。これが駒形・高根の両社と尊崇される摂末社である。
従って両社共御祭神が多岐に亘るのはこのためである。
(境内掲示板より)

駒ヶ岳(標高1357メートル)
霊峰駒ヶ岳。
箱根の中央火口のひとつで、神山を神南備と仰ぎ、駒ヶ岳山頂をその祭りの庭としてきた。
山頂にはハコネコメツツジ、コイワザクラ。ハコネトリカブト等が見られる。

数多くの伝説や逸話が残されている箱根神社。
鬱蒼とした緑に囲まれて、とても良い雰囲気のお社でした♪

次回はいざ元宮へ。

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