22 July 2011

流海(霞ヶ浦)を巡る -4 蛟蝄神社 (奥の宮)

Location 日本, 茨城県北相馬郡利根町立木
流海(霞ヶ浦)を巡る
4 蛟
神社 (奥の宮)

蚊もう神社奥の宮は、門の宮の東約300mの高台に鎮座している。

勾配の大きい石段を登ろうとしたら、道脇に腰かけていたおばあちゃんに声を掛けられた。
「階段に落葉がいっぱいあるから気をつけてェ~」

ありがとう、おばあちゃん^^
だけど注意にもかかわらず、落葉のせいで滑りコケそうになりました・・・。

鳥居
石段を登りきると、ひっそりと社殿が佇む境内へ。
社叢の木々に視界を遮られてしまい、「水郷地帯が一望!」とまでいきませんでした。

社殿
御祭神:
弥都波能売命・・・みつはのめのみこと(水神)
波邇夜須毘売命・・・はにやすひめのみこと(土神)

御祭神の弥都波能売命は、日本書紀では罔象女神と記されている。

古事記の神産みの段において、カグツチを生んで火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。

日本書紀の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智(カグツチ)の間に稚産霊(ワクムスビ)が生まれたとしている。

板締めの注連縄
神名の「ミヅハ」は「水走」と解して灌漑のための引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされる。
また「ミツハ」に「罔象」の字が宛てられているが、罔象は中国の文献で、龍や小児などの姿をした水の精であると説明されている。

さらにミツチ(蛟)は「おろち(愚霊)」「いそら(卑霊)」と同義で、劣る竜。未熟な竜という意味があるらしい。

本殿
奥の宮の社殿は元禄十六年に再建されたもの。

沿革については、前回の「里の宮」と内容が重複するが、
孝霊天皇3年(BC288)に水神である弥都波能売命(みつはのめのみこと)を現在の門の宮の場所に祀ったのがその始まりで、文武天皇(第42代天皇)2年(698)には、土神の波邇夜須毘売命(はにやすひめのみこと)を合祀し、東の高台(現在の奥の宮)に遷座した。

このとき、門の宮は、取り壊す予定だったが、氏子たちの強い要望で、祭神を分祀し、門の宮となった。
元来水の神を祀っていたが、門の宮が冠水などの水害があった為、高台にある当地に遷して「土の神様」ハニヤスも合せて祀って鎮めようとしたのかな?と推測。

御神木

石段の右脇にあったスダジイの老木。
枯死しそうだが、まだ大丈夫。
木の命は簡単に枯れることはない。

そんな古社・蛟神社周辺図。
(境内掲示板より)

ちなみに 蛟蝄神社は、現・茨城県ですが、旧・下総国です。


次回は成田にある古社についてです。

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