流海(霞ヶ浦)を巡る -5 麻賀多神社(稷山社)と天日津久社

流海(霞ヶ浦)を巡る
麻賀多神社 (台方)

(千葉県成田市台方字稷山一番地御鎮座)

主に下総国に集中している社、麻賀多神社の総本社であり、式内社に比定されている印旛地方最古の社~千葉県成田市の麻賀多神社。

まずは台方にある「稷山社」へ。
標高30メートルの台地上の社叢に囲まれたお社である。

印旛の田んぼ
恐らく往古の昔は、印旛湖だったと推測される水田。
現在も『公津』という地名が残っているが、これはかつて「神津(神の港)」だった名残とされている。

さて写真の左側(南側)の高台に台方・稷山社、右側(北側)の小高い丘のてっぺんに船形・手黒社が鎮座されている。

境内
御祭神 和久産巣日神(稚産霊命)
伊勢の外宮豊受大神の親神、伊勢内宮天照大神は妹神、香取神宮経津主大神は弟神

この地方は二千年の昔、麻の産地で麻縣とも云われた時代があった。
当時麻は織物類の原料として貴重なもので、朝廷の身に着ける衣はこの地方から献上されていたとのこと。
そのためこの神様の御紋は特別に麻の葉になったと云うことである。

拝殿
その昔日本武尊御東征の折、この地方の五穀の実りが悪いのを知り、里人を集めて大木の虚に鏡を掛け、その根本に七つの玉を埋めて伊勢神宮に祈願いたしましたところ、その後は豊年がつづいた。

そして今から1700年余前(応神天皇の頃)伊都許利命が印旛国造(地方長官)任命され、この地方の開発につくされた時、夢の中で

『洞木の下の地中に玉(勾玉)あり、掘り出して和久産巣日神を祭れ』

とのお告げあり、勾玉を掘り出して御鏡と共に御霊代として稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り、麻賀眞の大神と崇め、八代・神津(公津)の両郷を神領として奉斎しました。

扁額
このお社は国幣社で勅使の往来があり、印旛湖畔に建つ大鳥居(一の鳥居)は約1200年前(桓武天皇の頃)勅使大伴家持の寄進によるものとされています。
この地方には古くから人が住み、周囲が海であったことから、昔この地方を神津(神の港)といわれていた。

その後推古天皇十六年(608)新たに宮居をこの地に建て麻賀多の大宮と名付けた。
本地御鎮座以来一千三百六十余年(昭和49年時)、印旛郡下十八麻賀多の総社として筒粥祭り、御田植祭、豊年神楽などの古い儀式が継承され御祭神にゆかりのある古い地名等も現存している。又明治五年に郷社に、昭和十年御神木大杉は県の天然記念樹等に選ばれた。

現在の本殿(大宮殿)は元禄九年の再建で、神楽と共に市文化財となっている。
(以上、境内掲示板より)

本殿
麻賀多神社本殿(台方)
現在の本殿は「一間社」の流れ造りで、江戸時代中期初頭の寛文十三年(1673)に建築されたものです。
特に構造柱の斗栱、木鼻、高欄の擬宝珠などに、創建時の特色がよく残っています。
(境内掲示板より)
天日津久神社
社殿右脇にある天日津久神社。
土台の上に石祠が鎮座しているので、昔は社殿があったのかな?

昭和19年岡本天明が、ここ麻賀多神社の末社である天之日津久神社を参拝した直後、全39巻からなる『日月神示』という啓示が降りてきたという。
詳細はここにて。

御神木

ここ台方麻賀多神社で一番びっくりしたのが、大杉。
根回りが太く、圧倒的な存在感。
ちなみにコブの箇所が目、そしてうっすらと口が見えて、顔のように見えたのは小生だけでないはず。
今から1370年前(聖徳太子時代)現在の地稷山に新たに宮殿を建て麻賀多大宮殿と称された。
此の大杉はその当時に植えられたもので太さ8m、高さ40m余りでそのお姿は誠に威容そのものであります。

東日本一と云われる此の大杉(御神木)は遠く遠く昔の日本の歴史を物語ると共に数多くの伝説を秘めた此の年輪の雄大さは千古不動の御神威と御神徳が示されています。
今日は特に不老長寿祈願の御神木として崇拝され昔から多くの祈願が行われて大願成就には梢より霊が輝き神のお告げがあると云い傳えられております。
(境内掲示板より)

境内から眺めてみると、鳥居の影が延びていて、とても美しい。
なかなかよい写真だ^^


次回は手黒社とへ参拝、そして伊都許利命についてを♪

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