流海(霞ヶ浦)を巡る -6 麻賀多神社(手黒社)と伝伊都許利命墳墓

流海(霞ヶ浦)を巡る
麻賀多神社 (船形・手黒社)

(千葉県成田市船形834番地御鎮座)

続いては船形にある通称「手黒社」
台方社とは旧印旛湖を挟んで対岸の北側にある奥の宮。
山道をえっほらえっほらと登っていくと、その頂に神社が鎮座されている。
微かに見える田んぼが旧印旛湖、その先には台方の麻賀多神社。
(因みに車で行けば、車道が整備されているので、バビューンと簡単に行けます^^)

一の鳥居
境内の右脇には「公津原古墳群 第三十九号墳」と呼ばれる墳墓があり、
麻賀多神社の創始、伊都許利命の墓とされている。
伝伊都許利命墳墓
よく見ると小高い山のような形状になっているここが、印旛国造・伊都許利命の墳墓と比定されている。

「神八井耳命の八代目の御孫」という点から多氏の末裔が入植して、当時貴重な麻を収穫していたのであろう。
よって、麻縣から時を経て麻賀多神社と名乗るようになったと思う。
確か「総国」の「総」も麻という意味だったと、どこかの本で読んだ記憶が残っている。

千葉県指定史跡 公津原古墳群 第三十九号墳
「伝初代印波国造伊都許利命の墳墓」

国造とは、古代大和の王権に服属した地方首長の身分の呼び名です。
地方統治にあたらせ、大和王権は国造制のもとに地方支配体制をかためました。

大化の改新による国群制度の施行によりその多くは郡司に優先的に登用されましたが、一部は律令制下の国造として祭祀をつかさどり、世襲の職とされました。

古墳は『先代旧事本紀』の中の「国造本紀」に見える“印波国造伊都許利命”の墳墓と伝えられています。墳丘の大きさは東西辺約35m、南北辺約36m、高さ約5mの方形墳です。

遺体埋納施設は、後期古墳の主体武に多くみられる凝灰質系軟質砂岩の切石積みによる横穴式石室(南側裾部)と、母片岩の板石を組み合わせた箱式石棺の二施設があります。
こちらは麻賀多神社の脇にある第三十九号墳の入口。
門前に鍵が掛けられており、注連縄が張られていた。

伊都許利命由緒
伊都許利命は、神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で、応神天皇の命を受けて、印旛國造としてこの地方を平定され、産業の指導などに多くの御功績を発されています。

その昔、日本武尊ご東伝の折、大木の虚に鏡をかけ、根本に七つの玉を埋めて、伊勢神宮に祈願されました。
命は「この鏡えおあがめ祀れば永く豊作が続く」との教をききその鏡を御神体としてこの地に稚日霊命を(手黒神社)を祀り、その後ご霊示によって七つの玉を掘り出して稚産霊命(台方神社)を祀り、共に麻賀多神社眞大神として里人の崇敬を指導されてから、益々豊年と楽土が続きました。

なお、佐倉藩磯部昌言氏の記す佐倉風土記を始め塚上の古墳碑等によって治績が広く知られ、又明治四十四年大正三年の二回に亘って古墳が保存され、近年成田市の史跡に選ばれました。

御墳墓は土砂が少し削られているようですが、周囲120メートル、高さ7メートルの方形墳で、南の麓には広さ約5平方メートルの岩屋と西麓には直刀、金環、鎧片等を納めた石棺とその出土品が現存しています。

伊都許利神社社務所

二の鳥居
さて、ここ船形麻賀多神社は、伊都許利命が麻賀多神を祀った創建地とされ、推古天皇16年(608)に稷山(台方社)に奉遷し、当社は奥宮となった。

祭神は稚日霊神。
三世紀の頃、印旛国造伊都許利命が稚日霊神のの霊示を受け、玉を掘り御霊代として稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り、麻賀眞の大神と崇め、八代・神津(公津)の両郷を神領として奉斎したという。
さて、この稚日霊神はいわゆる稚日女尊(ワカルヒメノミコト)のことなのだろうか?

一般に稚産霊命(ワクムスビ)は、「穀物の成育と深く関わる神さま」として崇められていて、ワカルヒメはいわゆる「機織りの神さま」で、古事記によると、機織している折スサノオノミコトに馬の皮を投げ込まれ,驚いて女陰を傷つけ死んでしまった女神である。(天照大神が天磐戸に閉じ篭る原因ともなった)

麻の産地で、豊穣を司るかみさまと、麻織りを崇める機織りのかみさまが別宮で祀られている。
ならば、特に不自然な点はないと思う、と妄想。。。
式内社・麻賀多(まがた)神社(手黒社)
麻賀多神社は、平安時代に編集された「延喜式」の「神名帳」に記載されている印旛地方では最古の神社でで、市内台方区稷山(あわやま)と、ここ船形区手黒の二社あります。
台方社は稚産霊神を、船形社は奥の宮で稚日霊神をお祭りしています。
(境内掲示板より)
本殿
社叢の中には石祠が点在しており、世直神社・熊野神社・菅原神社・加志波比売神社などがひっそりと鎮座していた。

しかし、ひとつ疑問が残る。
「伊都許利神社」とここ「船形麻賀多神社」は同一なのか?という点である。
イマイチ理解できない・・・。
御神木
御神木とされる大杉。
樹齢約600年とされている。
台方の大杉に負けない重鎮さを感じさせる。

境内の雰囲気、特に社叢の生い茂った木々の中を歩くと、御託などすっかり忘れて、不思議と心が洗われ、気持ちがリフレッシュした気分になることが出来た。
参拝して本当に良かったと思えた二社であった。

田の畦に咲いていた柔らかなピンク色をしたお花。
とても可愛らしいですね♪


次回は、神崎なる神々しい地名が残るお社へ☆

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