フツヌシ、経津主と、古事記での「布都御魂」


香取神宮の祭神である経津主神(フツヌシノカミ)は、古事記に登場せず、日本書紀では冒頭の「国譲り神話」にてカケミカヅチとともに出雲国を平定するために降ってきたとある。

しかし、古事記の「熊野でのおはなし」にて、布都御魂(フツノミタマ)という剣として登場してくる。

(お話・神武東征~熊野でのおはなし)

伊波礼毘古神(イワレビコノ命・・・神武天皇)一行が東征の途中、登美の地に住む大和地方の豪族、那賀須泥毘古(ナガスネビコ・・・長髄彦)の軍と戦ったが敗戦。

その際、イワレビコの兄であった兄・五瀬命(イツセノ命)が矢を受けてしまい負傷し、やがて紀国の男之水門で戦死した。

一行は兄の死後、軍隊を連れて熊野の村へ着くと、大きな熊が現れて、いつしか兵士達は気を失ってグッタリとしてしまった。

この時、熊野の高倉下(タカクラジ)が剣を携えてイワレビコノ命の下へ向い、剣を受け取ると気を失っていた一行は眠りからさめ、熊野山の荒ぶる神々はその剣をふるわないうちに切り倒されてしまった。

石上神宮
その剣は佐土布都神(サシフツノカミ)、別名 甕布都神(ミカフツノカミ)、布都御魂(フツノミタマ)と呼ばれ石上神宮にて御神体として祀られていたが、やがて拝殿の裏手の禁足地に埋められてしまう。その後、明治時代の発掘調査にて発見された内反りの刀(日本刀とは逆に刃がついている~鎌みたいな感じ?)で、現在は本殿内に安置されているとのこと。

そしてこの布都御魂、実はもう一振り存在している。
布都御魂剣または韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と称する巨大な直刀で、奈良時代~平安時代に製作されたもので、鹿島神宮の宝物館に展示されている。

ちなみに、石上神宮は崇神天皇七年、物部連の祖・伊香色雄命が勅を奉じて布都御魂大神と布留御魂大神を石上の高庭に遷し祀った神宮である。

・・・さてさて

イワレビコは、タカクラジに剣を入手した経緯を尋ねた。
すると、夢の中でアマテラス大御神と、高木神(タカギノ神=高御巣日神・タカムスビノカミの別名)が建御雷神を御呼びになり・・・

アマテラス「葦原中国はまたひどく乱れている・・・。私の子たちも病を得て困ってしまってますわ」

タカギ神「以前そちが葦原中国を平定したように、今回も出かけてほしいんじゃが。」

すると、タケミカヅチは一本の剣を差し出して、

タケミカヅチ「私が行かなくても、荒ぶる神を鎮める力のある剣があります。これをタカクラジの家の棟に穴を開けて落とし入れることにします。」

・・・という夢をお告げがあった報告をした。

そして、忍坂(おさか)の土雲といった土着の豪族を制圧。
ついにナガスネヒコの軍と対決し、兄の敵討ちを果たしたのであった。
(この辺はかなり掻い摘んでます^^)

その後、高天原より瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)より先に降ったとされる邇芸速日命(ニギハヤヒ)が加勢して、各地の荒ぶる神々を帰順させ撃退していった。

*邇芸速日命(ニギハヤヒ)は、ナガスネヒコの妹である登美夜毘売(トミヤヒメ)と結婚し、
ウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)を産んだ。この子は物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。

橿原神宮と畝傍山
そしてイワレビコノ命は畝火(現:畝傍)の白檮原に宮殿を築いて天下を治めた。

その後、大物主(オオモノヌシ)の子である比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)を皇后とし、日子八井命(ヒコヤイ)、神八井耳命(カムヤイミミ・・・多氏の祖)、神沼河耳命(カムヌナカワミミ、後の綏靖天皇)の三柱の子を生んだとさ。

~おしまい~


次回はフツヌシを祀る下総國一之宮へ♪

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