流海(霞ヶ浦)を巡る -10 「東国三社」 息栖神社と久那戸神

流海(霞ヶ浦)を巡る
「東国三社の一社」 息栖神社
(茨城県神栖市息栖2882御鎮座)


現・利根川を渡り、次に向かうは、息栖神社。
鹿島神宮、香取神宮と並び「東国三社」と呼ばれているお社である。

利根川沿いを車で走っていると、今だに震災の影響か、屋根がブルーシートで覆われた家などが多く残っていた・・・。


常陸利根川沿いに息栖神社が鎮座されている。
神社の反対側にも大きな鳥居。
そこには、忍潮井と呼ばれる甕井があるのだが、それは次回・・・。

神栖神社の祭神は久那戸神と天乃鳥船。

「出雲の大神様より鹿島香取の大神様の道案内を命ぜられた」

からか、鹿島神宮の式年大祭御船祭では息栖神社の船が先導役を果たしている。

神門
弘化四年(1847)に建て替えられた神門。
深い緑の木々の中に神門の朱色がとても際立っている。

御祭神

久那戸神(岐神)
相殿 天乃鳥船、住吉三神

鎮座地

茨城県神栖市息栖2882御鎮座

御由緒

久那戸大神は古く国史にも見え、鹿島、香取の神々と共に東国三社の一つと称され、上下の信仰の篤い神社であります。
久那戸神(岐神)は、路の神であり除厄招福の神であり、井戸の神でもあります。

天鳥船神は交通守護に、住吉三神は海上守護の神として御神威が顕著で、神前に祈念する者にその限りない御思頼を垂れさせられ御守護下さるものであります。

拝殿
沿革

息栖神社の創祀は応神天皇の御代と伝えられるものの祭神の御神格からして神代時代に鹿島・香取、両神社の御祭神に従って東国に至り、鹿島・香取の両神宮は其々台地に御鎮座するものの、久那戸神及び天鳥船神は海辺の港(日川)に姿を留めてやがて応神朝に神社として祀られたと思われます。

日川に御鎮座当時の御社名については記録がありません。

『出雲の大神様より鹿島香取の大神様の道案内を命ぜられた久那戸神は現在出雲大社の近くに出雲大社の摂社・出雲井神社(路神社)として祀られております。』

建物
本殿・幣殿・拝殿 鉄筋、銅板葺(昭和38年建て替え)
神門 弘化四年建て替え

本殿

本殿・幣殿・拝殿は、鉄筋コンクリート銅板葺造りで、昭和38年に建て替えられたもの。
もし木造だったら、今回の震災で倒壊されていたかもしれない・・・?

国史(三代実録)に書いてある「於岐都説神社」が現在の息栖神社です。

常陸風土記によれば香取神郡が出来たのは大化五年(今からおよそ1300年前)であり、和尚年間の鹿島地方は鹿島丘陵の南は今の鹿嶋市国末で終わり、その後沖洲であったものがようやく陸続きとなり、幾つかの集落が出来て一段と低く南へ延びて居たことが分かる。

御神木
息栖神社はこのような沖洲に鎮祭され大同二年四月十三日(807)平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂によって元座地に遷されたと伝えられている。

三代実録にも、光孝天皇の御代(仁和元年・1120)の紀に『正六位於岐都説神従五位下を授く』とあり、於岐都説は於岐都洲であり、沖洲であり、息栖になったものであります(別説あり)。

狛犬
上下の崇敬厚く、弘安の元寇には勅使を報じて国家安泰を祈願し、明治元年には勅使として、(神衹判官正四位右近衛少将源朝臣植末雅言)が参向奉幣され、大正三年日独の国交断絶の際にも宣戦報告の供進使が参向されるなど、又下三宮詣で(三社詣り)水郷の額ずき、大神の御思頼を頂き、さらに香取・鹿島へ詣でる人達、今は車での三社詣での人達が絶えません。

末社 高房神社・伊邪那岐神社・鹿島神社・香取神社・奥宮江神社・手子后神社・八竜神社・稲荷神社・若宮
(以上、参拝の栞より)

狛犬
上の写真は、力石と松尾芭蕉の石碑の両サイドを固めている(!?)
なんともユーモラスなお姿をした狛犬?

まるで鯉のように思えてしまうのは私だけ?

ミステリアスで深い、しかし、とても静かで心落ち着く息栖神社。
参拝時期が6月とあってか、木々の青葉がとても鮮やかでした♪


忍潮井のリンクはこちら→http://travelog-jpn.blogspot.jp/2011/08/11.html

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