24 August 2011

流海(霞ヶ浦)を巡る -14 多一族の居住地 大生殿神社と大生古墳群

Location 日本, 茨城県潮来市大生
流海(霞ヶ浦)を巡る
大和多一族の居住地~
大生殿神社と大生原古墳群


大生神社から大生古墳群へ。

大生原古墳群とは、大生神社の西方に大小100を超える古墳があり、最大ものは全長約70m余りの前方後円墳がある。この古墳群は古墳時代中期(5世紀頃)の築造といわれている。

鹿見塚古墳
さらに大生神社の南には、大生殿と呼ばれる神社が上円下方墳の上に作られている。
その本殿の中には明暦年間(1655~58)の頃に建てられた多氏の子孫が安置されている。

また大生山延命院観音寺という多家代々の菩提寺の跡もあるらしい。
文武天皇の御代に創建されたといわれている。

そう、この地はかつて多一族の居住地(コロニー)だったのである。

子子舞塚古墳

大生古墳群

大生原台地には百十余基からなる古墳群が存在し、
県下でも最大の規模を誇る古墳群を形成している。

この古墳群は古墳の集中状態から大生東部古墳群、大生西部古墳群、カメ森古墳群、田ノ森古墳群に四大別されるが、この古墳群は大生神社の西側に位置し、県指定史跡鹿見塚古墳をはじめ、天神塚古墳、白旗八幡塚古墳などから大生原古墳群の被葬者が鹿島宮と密接な関係のあったオフ氏(多)一族であったことは各方面から立証されている。
(案内掲示板より)
白旗八幡塚古墳

この大生古墳群から北浦を越えて約5km先の真東に宮中野古墳群がある。
前々号のとおり、まるで定規で直線を引いたかのように一直線なのである。

その古墳群も100基を超える大古墳群だったのだが、江戸時代に編さんされた「新編常陸国誌」には「いにしえの郡家あり、郡司などの墓なるべし」との記述のみで、埋葬されている一族は謎のままという。

尚、古墳群の近くには、鹿島神宮の境外摂社である坂戸神社が鎮座されている。

現:北浦を挟んだ東西の地に二大古墳群。
この辺にタケミカヅチやフツヌシに対する疑問の回答の手がかりになるのかな、と思った。

また『カガセオ』についての古伝承を始めとした調べたい事、行ってみたい地が本当に多くある。
侮れぬ、常陸国。
大生殿神社
その後、多氏の菩提寺といわれる古寺を訪ねてみたが・・・
どこにあるかさっぱり分からなった(><)
何となく急坂の窪地あたりがそうだと思ったけど、怖くて進めませんでした。


気を取り直して、大生殿神社へ。

鬱蒼とした森の中、蚊の大群を除けながら、参道とおぼしき道を歩いていくと、小山の上に小さな社殿が鎮座しているお社を発見。

創建は明暦年間といわれているらしい。

(由緒)
大生殿神社御祭神の殿様大生弾正平定守公は、今を去る385年前、慶長十九年甲寅(西暦1614年)大阪の役に出陣途中、駿河州藤枝に於いて病没せられた。

領民は大生殿霊神としてお祀りし、霊験あらたかく近隣の信仰を集め栄えた。

神前に供えた徳利、杉の葉、葭(よし)を用いて、

病は『とっくにすぎたよしよし』


これを神のお告げとし、参詣者は神前で杉の葉をお受けし、徳利に杉の葉、葭を用いて門口に下げておくと病魔がその家に入らず通り過ぎて行くという言い伝えである。
(境内掲示板より)
大生殿神社(上円下方墳)

社殿の裏の本殿(石祠)が先の震災で完全に倒壊してしまっていた。
とても畏れ多かったので、シャッターを押せなかったが、今はどうなっているのだろう?

一日も早い修復を願ってやまない。


次回は・・・いざ大洗へ!

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