鹿島灘を巡る -16 酒列磯前神社

鹿島灘を巡る
酒列磯前神社
(茨城県ひたちなか市磯崎町4607番地2御鎮座)


茨城南東部を巡る旅もいよいよ最終回。
最後は阿字ヶ浦に鎮座されている酒列磯前神社です。

さて、阿字ヶ浦は学生時代に大洗とともによく行った海岸でした。
今は北関東自動車道や、東水戸道路が開通したおかげでかなり交通の便もよくなったけど、常磐道しかなかった時代は、夏の休日はいつも水戸ICが大渋滞していたな・・・と記憶。


社頭には、燈台を模した燈籠があっておもしろい。
さらに参道はまるで木のトンネルのように鬱蒼としていた。

尚、鳥居脇の燈籠や鳥居などは東日本大震災により、悉く損壊してしまったらしい。
残念・・・。
参道

椿の木を主とする約300メートルの樹叢に覆われた参道。
参拝時期が冬だったため木々は枯れているが、剥き出しになった太い枝がまるで物の怪のよう。
正に神域~異界への入口。

二の鳥居

鬱蒼とした長い参道を抜けると、手水舎と摂末社、そして明るい境内が広がってきた。
社殿

この辺にて御由緒を。

酒列磯前神社
茨城県ひたちなか市磯前町4607-2御鎮座
旧社名 酒列磯前薬師菩薩神社
(延喜式内社 明神大社 国幣中社)

御創建 斉衡三年(856)
主祭神 少彦名命 (通称えびすさま)、大名持命 (通称だいこくさま)

社格

平安時代初期の『文徳天皇実録』に官社とあり、延喜の制では「明神大社」に列せられた。
歴代領主の崇敬あつく、特に水戸藩二代藩主徳川光圀公には、境内を大規模に拡張し現在の社殿地に遷座、大社殿を御造営された。

明治18年には「国幣中社」に列格。
(以上、参拝のしおりより)

本殿
社名となっている『酒列(さかつら)』について、一般的には次のように言われている。

「当神社の面する広汎にわたっての岩石群は南に約四十五度に傾斜して列なっていますが、その内の一部のみ反対の北に傾いた箇所があります。
その様相から『逆列』の地名が生まれ、お酒の神様を祀るところをとって、『酒列』となりました。」


しかし、香島について十数社程巡っていると、やはり「甕(かめ)」事が頭をよぎる。

『荒ぶる神々にむかうばあい境に甕を供えて祈る。』

往古の昔、神聖な酒を入れた甕を列して(並べて)お供えしていた地だったのかな?と妄想。

それを暗示させるかのように、海亀(かめ)の石像が祀られている(嘘)

ちなみに、境内にあった案内曰く・・・

「海亀は昔から漁師にとって特別な存在。漁に出て網に海亀がかかると大漁になると伝えられているので、海亀にお酒を飲ませて送り返したという。」

尚、この像は宝くじに当選した方が寄贈したものらしい。

参道脇には、天満宮、事比羅神社、冨士神社、水神社が祀られている。

腰掛石
末社の脇には、水戸藩第九代藩主徳川斉昭公が腰かけたとされるお腰掛石があった。


脇参道から阿字ヶ浦が微かに見える。

震災で相当な被害を受けてしまったらしいが、磯崎町、いや鹿島灘沿いに居住されている民の心の拠り所となるよう、一日も早く再興してほしいと心より願う。

Comments

Popular posts from this blog

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社