8 August 2011

流海(霞ヶ浦)を巡る -9 側高神社 香取神宮第一摂社

Location 日本, 千葉県香取市大倉
流海(霞ヶ浦)を巡る
側高神社 香取神宮の第一摂社
(千葉県香取市大倉1番地御鎮座)
今回は、大戸神社とともに、香取神宮の第一摂社といわれる側高神社。
東関東自動車道の脇に鎮座されていて、神社は香取郡と海上郡境にある側高山頂に位置している。

鳥居と手水舎
側高山からは佐原の田園地帯、利根川、常陸利根川、隣接の茨城県潮来市の水郷地帯が一望できる。

拝殿
拝殿の周りの鬱蒼とした社叢がとても魅力的。
側高神社の創建は、香取神宮の創建時と同時期(神武天皇18年・・・紀元前643年)を云われ、御祭神は側高大神を祀っているとされているが、実際は不明。

古来から祭神は神秘として口にすることを許されず、俗に『言わず語らずの守』とのみ伝えられるといわれている。

毎年一月第二日曜日に行われる「髭撫祭」は、建保二年(1214~鎌倉時代)から始まるとされる祭事で、端的にいえば氏子達が、酒豪を競い合う神事だそうだ。

本殿
側高神社本殿

この神社は、香取神宮第一の摂社であり、古来より永く尊崇されてきた。本殿は一間社流造、屋根は現在銅板葺であるが、もとは茅葺。
主屋正面及び側面は切目縁、はね高欄。組物は連三斗、軒は二重繁垂木である。向拝部分の彩色文様や蟇股内部の彫刻には桃山建築様式の特色がみられる。

神宮本社の造替修理との関係や建築様式から、慶長年間に畿内出身の名工に学んだ工匠の手になる地方色の強い建築物として貴重である。

また、この地は古く香取郡と海上郡界の地であり、香取神宮第一の摂社が鎮座していることは歴史的にも重要である。
(境内掲示板より)

四箇の甕
四箇の甕の由来

この四箇の甕を、俗に「四季の甕」と言う。
石段の側から、春の甕、夏の甕、秋の甕、冬の甕、と称して夫々の甕の水量が、四季折々の降水量を示すとも言われる。
自然に溜った雨水の量を以て占いの基礎としたものであろう。
神験に依って、その年の豊凶や、生活の吉凶を知ろうとした古人の純朴な信仰が偲ばれる。
(以上、境内案内板より)

流海の岸部には、側高神社の「四箇の甕」のほかにも、のちに掲載予定の息栖神社の「忍潮井」など甕が置かれているお社が多い。

あらぶる神々のいる異境にむかうばあい、
境界に甕をそなえて祈る。
蝦夷地にむかう船の安全と、
人々の武運の長久とを祈るための港が「カシマ」であった。
だから、内海の住民たちは(カジトリたち)の神は、
内海の人々が太平洋に船出するときには、
外界(外海)に霊威をもつ神に祈る。
それが香取と鹿島の関係である。
(『日本の神々』卷十一 大和岩雄)

きっとこの地区の神社に甕が多いことの起源のひとつなのであり、カトリの祭神(フツヌシノミコト)が、カシマの神の斎主神となっているのであろう。

狛犬
階段脇の狛犬
なんかとてもユーモラス♪
だけど、何故か一体のみだった・・・。

「香取の神の命により、陸奥より馬2000匹を捕えて戻ったところ陸奥の神が追いかけてきた。そこで側高の神は潮干珠で潮を引かせ、馬を下総の地に渡らせた。
馬を渡し終えると今度は潮満珠で潮を満たし、陸奥の神が追い付けないようにした」
という伝承もある。
古事記の「山幸彦と海幸彦」のおはなしにちょっと似てますね♪

なんともミステリアス、だけど心落ち着くお社でした。


次回は、茨城再上陸♪

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