古事記での建御雷神と建甕槌命の謎

古事記には鹿島神宮の御祭神であるタケミカヅチが三度登場している。

一度目は以前記したことのある、有名な「国譲り神話」。
二度目は先日香取神宮の項にて記した「熊野のおはなし

稲佐の浜
上記二話については「天津神」としてのタケミカヅチなのだが、次話は少々事情が異なっています。


(お話・崇神天皇と大物主大神のおはなし)

御真木入日子印恵命(ミマキイリコイニエノミコト・・・崇神天皇)が師木の水垣の宮で天下を治めていた頃、国では疫病が蔓延し、多くの人々が息絶える事態が起こっていた。

崇神天皇は神託を受けようとすると、夢の中に大物主大神が現れ、

オオモノヌシ「今、流行している病は、私の意志によるものである!意富多多泥古(オオタタネコ)に私を祀らせるならば、神の祟りも治まるだろう。グアッハッハッハー」

という神託を受けた。
翌朝、天皇は夢から覚めると、馬を四方に走らせオオタタネコを探した。
すると使いの一人が河内の美努(みの)の村で彼を発見し、天皇の下を連れて行った。

崇神天皇「そちは誰の子じゃ?」


オオタタネコ「私はオオモノヌシノ神が活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)と結婚しての四代目にあたります建甕槌命(タケミカヅチ)の子、オオタタネコと申します。」
(因みに、日本書紀では、大物主大神の娘(陶津見のむすめ)、または、「奇日方天日方武茅渟祇の女(むすめ)なり」とされている)


崇神天皇「そなたに神主になってもらい、オオモノヌシノ神を祀ってもらいたいのじゃ」


オオタタネコ「御意に!」

早速、三諸山でオオタタネコにオオモノヌシノ神を祀らせた。

三諸山 (現三輪山)
オオタタネコは三輪氏の祖といわれる。
その祖神は神八井耳命(カムヤイミミ)で、古代祭祀一族であった多氏であるという。
また古事記を編纂したのは太安万侶であり、多氏一族といわれている。


さらに物部氏の祖、伊迦賀色許男(イカガシコオ・伊香我色雄命)に天津神・国津神の社を定め、宇陀の墨坂神に赤色の楯矛を、大坂神に黒色の楯矛を、なおかつ坂の上の神、川の瀬の神にまで平らな器を奉らせて国を鎮めた。

そして北陸(大毘古神~高志道)・東国(建沼河別命~東国十二国)・丹波国(日子坐王)へと派遣して諸国を平定し、租税制度を定めた。

人々はその治世を讃え、『初国知らしし天皇』といわれたそうな。

~おしまい~


お・おや、祖先が違うタケミカヅチがいる!


① 「国譲り神話」「神武東征」に出たタケミカヅチは、建御雷神と記し、伊都之尾羽張神(イツノオハバリノカミ)の子という天津神系の神さま

② 「崇神天皇とオオタタネコ」に出たタケミカヅチは、建甕槌命と記し、大物主大神と活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)夫婦の四代目の子孫という国津神系の神さま

む、むむむー。

ということで、次回はそのタケミカヅチを祀っている常陸国一之宮へ!

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